この箇所では、ソロモンは伝道者の書の7章から8章のテーマを続けて書きます。すなわち、人間の知恵によって悪に関する疑問を解決することはできません。
この罪によって破壊された世界では、私たちに良いことが起こるのか、悪いことが起こるのかを予測することはできないのです。すべての人々が、善い時も悪い時も経験します。
そして、たとえ知恵を持ち、正しい人生を生きていたとしても、悪い時がやってくるのです。
そのため、ソロモンは1節で次のように書きました。
というのは、私はこのいっさいを心に留め、正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にあることを確かめたからである。
彼らの前にあるすべてのものが愛であるか、憎しみであるか、人にはわからない。(伝道者の書9:1)
そして、その後で、ソロモンは私たちが確実に理解している事実について語ります。すなわち、すべての人は、いつか死を迎えます。あなたが善人であろうと悪人であろうと関係ありません。誰もが、いつか死ぬのです。
ソロモンが語ったのは、死んでしまえば、何もすることもできず、何も知ることもできないということです。
あなたの働きに対する報いを受け取ることもなく、これまでの善い経験も悪い経験も、すべてが過去のものになります。そして最終的には、すべての人があなたの存在を忘れてしまいます。
だからこそ、ソロモンはこう言いました。
さあ、喜んであなたのパンを食べ、愉快にあなたのぶどう酒を飲め。神はすでにあなたの行いを喜んでおられる。
いつもあなたは白い着物を着、頭には油を絶やしてはならない。
日の下であなたに与えられたむなしい一生の間に、あなたの愛する妻と生活を楽しむがよい。それが、生きている間に、日の下であなたがする労苦によるあなたの受ける分である。
あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。あなたが行こうとしているよみには、働きも企ても知恵もないからだ。伝道者の書9:7-10)
つまり、この人生を楽しみましょう。生きている間に、神様が与えてくださった人生を十分に活かしなさい、ということです。
私もこの考えに賛成です。
私たちは、しばしば心配に圧倒されます。過去の出来事について悩み、現在の状況を心配し、さらには未来を恐れることもあります。けれども、心配しすぎると、この人生を楽しむことができなくなります。それは本当にもったいないことです。
しかし、ソロモンが知らなかったことを、私たちは知っています。それは、この人生の後にも私たちは生き続ける、ということです。旧約聖書の時代において、たとえ永遠の命を信じていた人々でさえ、その理解は曖昧なものでした。
ところが、新約聖書では、イエス様が永遠の命について明確に教えています。つまり、死の後には希望があります。
マルタという女性が亡くなった兄ラザロのために涙を流していたとき、イエス様はこう言われました。
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。(ヨハネ11:25-26)
だから、この人生を楽しみましょう。神様がこの世界を造られた理由は、私たちが楽しむためです。
しかし、それと同時に、死の後にも希望があることを忘れないでください。
永遠の命があるかどうか、私たちはもう疑う必要はありません。それは確かに存在します。
ヨハネは次のように書きました。
私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。(第一ヨハネ5:13)
毎日、その真理を思い出して、喜びましょう。
