カテゴリー
伝道者の書

人生がフェアじゃない時に

伝道者の書9:11-16

「人生がフェアだと誰も約束した覚えはないよ。」

アメリカでは、誰かが人生の不公平について文句を言うと、多くの人々はそう返答します。なぜなら、それは真理だからです。人生は、そもそも不公平なものなのです。

この箇所で、ソロモンもそのように教えています。

一番早い人がいつもレースに勝つわけではありません。一番強い人がいつも試合に勝つわけでもありません。一番賢くて才能のある人がいつも成功するわけでもありません。なぜでしょうか。

ソロモンが書いたように、

すべての人が時と機会に出会うからだ。(伝道者の書9:11)

つまり、時には悪いことが起こるということです。そして、いつ悪いことが起こるか、私たちには全く分からないのです。

人生は、時として機会があるかどうかで不公平になることがあります。また、時には人々それぞれの性格や人格によって、私たちの人生が不公平になることもあります。

ソロモンは、その例を示しています。

わずかな人々が住む小さな町があった。そこに大王が攻めて来て、これを包囲し、これに対して大きなとりでを築いた。

ところが、その町に、貧しいひとりの知恵ある者がいて、自分の知恵を用いてその町を解放した。(伝道者の書9:14-15)

すごいですね。では、その町の人々は、その賢い人に何をしたでしょうか。その人を尊敬したのでしょうか。市長に任命したのでしょうか。その人を称えるためにパレードを行ったのでしょうか。いいえ、違います。むしろ、

だれもこの貧しい人を記憶しなかった。(15b)

時々、人生はフェアではありません。

人生がフェアではないと感じるとき、私たちはどうすればよいのでしょうか。

ここに、3つの選択肢があります。

  1. 苦々しい思いを抱く。
  2. がっかりして、「しょうがないなぁ」と諦める。
  3. イエス様の模範に従う。

イエス様について少し考えてみてください。すべての人々の中で、イエス様こそが「人生がフェアではない」と言う資格を持っていたと言えます。

イエス様は全く罪を犯したことがなく、人々を世話し、自分のニーズよりも他の人々のニーズを優先しました。自分の時間を人々に捧げ、疲れていても、一人になりたくても、人々が来るとイエス様は彼らに仕えました。

それにもかかわらず、最終的にイエス様は裏切られ、見捨てられ、十字架にかけられました。

それでも、イエス様は苦々しい思いを抱きませんでした。憤慨もせず、「もう、しょうがない」と諦めることもありませんでした。むしろ、イエス様は自分の人生を天の父の手に委ねました。

イエス様は天の父の御心に従い続け、神様からの栄誉を求めました。それがイエス様の最優先事項であったため、どのような状況においてもイエス様の喜びは失われることがありませんでした。むしろ、イエス様は人々を世話し、愛し、彼らのために十字架で命を捧げたのです。

人生はフェアではありません。この壊れた世界で、壊れた人間と共に生きているからです。それは私たちがコントロールできることではありません。しかし、私たちの反応は、自分でコントロールすることができます。

この人生で公平を求めないでください。それは見つけることができないからです。

だからこそ、イエス様のように、あなたの人生を天の父の手に委ねましょう。神様の御心に従い続け、神様からの栄誉を求めましょう。そうすることで、不公平な世界の中でも喜びと意味を見つけることができるのです。

コメントを残す