あなたの価値はどこから来るのでしょうか。
多くの人々は人生の目的を探します。また、彼らは「私の人生には本当に価値があるのだろうか」と問いかけます。
その答えを見つけたいのであれば、それはただ一つの場所にしか見つけられません。しかし、その答えは自分自身の中にはありません。
この箇所では、神様はイスラエル人にそのことを教えられました。
神様がイスラエル人を愛し、彼らにいろいろな祝福を注がれたのに、彼らは神様に背を向けました。そのため、神様はイスラエル人を不倫している妻にたとえられました。
神様は彼らに問いかけられました。
あなたがたの先祖は、わたしにどんな不正を見つけて、わたしから遠く離れ[たでしょうか。」(エレミヤ書2:5a)
そして、神様はその先祖についてこう言われました。
[彼らは]むなしいものに従って行って、むなしいものとなった。。。(5b)
多くの人々は「私の人生には本当に価値があるでしょうか。私の目的を見つけなければならない」と言います。
そのため、その答えを見つけるためにあちらこちらへ行きます。
けれども、彼らは神様を求めません。むしろ、お金やキャリア、彼や彼女、夫や妻、そして持ち物を追い求めます。
イスラエル人も同じことをしていました。神様は彼らについてこう言われました。
彼らは尋ねもしなかった。『主はどこにおられるのか。。。
祭司たちは、『主はどこにおられるのか』と言わず、律法を取り扱う者たちも、わたしを知らず、牧者たちもわたしにそむき、預言者たちはバアルによって預言して、無益なものに従って行った。(6、8)
しかし、私たちがこの世の虚しい物を求めても、自分の価値を見つけることはできません。かえって私たちの価値を失ってしまいます。
私たちの目的を見つけることもできません。かえって私たちの目的を失ってしまいます。
神様はこう言われました。
わたしの民は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。(13)
この箇所では、二つの罪を見ることができます。
1.湧き水の泉である神様を捨てること。
2.自分の水をためることができない、壊れた水ためを掘ること。
どれほど多くの人々が、お金や持ち物、力、人間関係によって、自分の「水ため」を掘るでしょうか。そして、彼らは一時的な満足を感じますが、結局はまた空っぽだと感じます。
そのため、彼らはさらにこう叫びます。「私の生きる目的は何でしょうか。私の価値はどこから来るのでしょうか。」
けれども、その道を生き続けるならば、神様はこう言われます。
あなたの悪が、あなたを懲らし、あなたの背信が、あなたを責める。だから、知り、見きわめよ。
あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦々しいことかを。――万軍の神、主の御告げ――(19)
どうしてでしょうか。命の源を捨てるならば、どうやって命を見つけることができるでしょうか。それは不可能です。他のものは結局、私たちを失望させるからです。
イスラエルはエジプトとの同盟、またアッシリヤとの同盟、さらにその国々の神々を通して、自分の目的と価値を探しました。(18)
しかし、神様はこう言われました。
あなたはアッシリヤによってはずかしめられたと同様に、エジプトによってもはずかしめられる。そこからもあなたは、両手を頭にのせて出て来よう。
主があなたの拠り頼む者を退けるので、あなたは彼らによって栄えることは決してない。(36ー37)
あなたは自分の目的を探しているでしょうか。自分の価値がどこから来るのか知りたいでしょうか。
自分の中ではその答えを見つけることはできません。この世の物によって見つけることもできません。
神様だけが、あなたの目的と価値を示されます。
だから神様を求めましょう。むなしいものに従って行くと、むなしいものとなってしまいます。
