私の娘が3歳の時、時々悪いことをすると、私は「謝りなさい」と言いました。
彼女は謝りましたが、時々心から謝っていませんでした。むしろ、彼女は笑いながら、「ごめんなさい~」と言っていました。
ユダ人たちは私の娘のようでした。神様は彼らについてこう言われました。
あなたは遊女の額をしていて、恥じようともしない。今でも、わたしに、こう呼びかけているではないか。
『父よ。あなたは私の若いころの連れ合いです。いつまでも怒られるのですか。永久に怒り続けるのですか』と。
なんと、あなたはこう言っていても、できるだけ多くの悪を行なっている。(エレミヤ書3:3ー5)
口では、彼らは「ごめんなさい」と言いましたが、彼らの行動はその心を表していました。
そして、神様は彼らを追放されたイスラエル人たちと比べられました。神様は彼らの「不倫」によって「離婚」されたのです。
つまり、彼らが偽物の神々を求めたために、神様は彼らをアッシリヤ人の手に渡されました。
ユダはそのことを知っていたにもかかわらず、悔い改めませんでした。悔い改めの言葉を口にしたものの、心から悔い改めることはありませんでした。
神様は彼らについてこう言われました。
このようなことをしながら、裏切る女、妹のユダは、心を尽くしてわたしに帰らず、ただ偽っていたにすぎなかった。――主の御告げ――」
主はまた、私に仰せられた。「背信の女イスラエルは、裏切る女ユダよりも正しかった。(10ー11)
つまり、「悔い改めるふりをするな。偽りの悔い改めよりも、反抗の方がまだ良い。」ということです。
しかし、もちろん、反抗よりも、神様は真実の悔い改めを望んでおられます。そのため、神様はこう言われました。
背信の女イスラエル。帰れ。――主の御告げ――
わたしはあなたがたをしからない。わたしは恵み深いから。――主の御告げ――
わたしは、いつまでも怒ってはいない。ただ、あなたは自分の咎を知れ。
あなたは自分の神、主にそむいて、すべての茂った木の下で、他国の男とかってなまねをし、わたしの声を聞き入れなかった。――主の御告げ――
背信の子らよ。帰れ。――主の御告げ――
わたしが、あなたがたの夫になるからだ。わたしはあなたがたを、町からひとり、氏族からふたり選び取り、シオンに連れて行こう。。。
背信の子らよ。帰れ。わたしがあなたがたの背信をいやそう。(エレミヤ書3:12-14,22)
私たちはどのように反応するべきでしょうか。
今、私たちはあなたのもとにまいります。あなたこそ、私たちの神、主だからです。(エレミヤ書3:22b)
神様はこう応えられます。
耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな。
ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。(エレミヤ書4:3ー4)
つまり、神様に対して、あなたの心を柔らかくしなさい。心の堅い土壌を耕しなさい。罪のとげを取り除きなさい。あなたを神様から遠ざけるものを取り除きなさい。
そうすれば、私たちの悔い改めは私たち自身に影響を与えるだけでなく、周りの人々にも影響を与えます。
神様はこう言われます。
イスラエルよ。もし帰るのなら、――主の御告げ――わたしのところに帰って来い。
もし、あなたが忌むべき物をわたしの前から除くなら、あなたは迷うことはない。
あなたが真実と公義と正義とによって『主は生きておられる』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、主によって誇り合う。(4:1ー2)
つまり、私たちが悔い改め、主のために生き始めるならば、神様は私たちを通して働き、私たちの周りの人々に触れて、彼らを祝福されるのです。
私たちがそのような心を持つことができますように。
