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エレミヤ書

教会は避け所。。。じゃない?

エレミヤ書7章

英語では、私たちは教会を [sanctuary] と呼びます。

一つの意味は「聖所」です。

けれども、もう一つの意味は「避け所」です。つまり、教会に行くと、神様にお会いし、安全を見つけることができます。

しかし、教会はすべての人にとって避け所であるわけではありません。神様はユダ人たちにこのように言われました。

イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。あなたがたの行ないと、わざとを改めよ。そうすれば、わたしは、あなたがたをこの所に住ませよう。

あなたがたは、『これは主の宮、主の宮、主の宮だ』と言っている偽りのことばを信頼してはならない。

もし、ほんとうに、あなたがたが行ないとわざとを改め、あなたがたの間で公義を行ない、在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、わたしはこの所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住ませよう。

なんと、あなたがたは、役にも立たない偽りのことばにたよっている。

しかも、あなたがたは盗み、殺し、姦通し、偽って誓い、バアルのためにいけにえを焼き、あなたがたの知らなかったほかの神々に従っている。

それなのに、あなたがたは、わたしの名がつけられているこの家のわたしの前にやって来て立ち、『私たちは救われている』と言う。

それは、このようなすべての忌みきらうべきことをするためか。

わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目には強盗の巣と見えたのか。

そうだ。わたしにも、そう見えていた。――主の御告げ―― (エレミヤ書7:3ー11)

つまり、罪深い道を行くと、あなたにとって教会は避け所とはなりません。

ダビデの将軍ヨアブはそう学びました。彼はずっと自分の道を行き、無罪の人々を殺しましたが、ダビデの息子ソロモン王の正義を避けるために主の幕屋に逃げました。

なぜでしょうか。それは神様が律法を定められたからです。もし誰かが偶然に人を殺し、殺された人の家族から逃げるために、その殺人者が幕屋に行った場合、守られました。(出エジプト記 21:13ー14)

けれども、ヨアブが故意に人々を殺したので、ソロモンはその幕屋でヨアブを殺しました。(列王記第一2:28ー34)

神様はユダ人に言われました。

「シロを見なさい。以前、わたしの幕屋はシロにありました。しかし、その人々がわたしに背を向けたので、彼らは滅びました。

あなたたちが悔い改めないなら、エルサレムの宮も倒れます。(エレミヤ書7:12ー15)

わたしはあなたたちのいけにえや儀式に興味があるわけではありません。わたしはあなたの服従を望みます。

わたしに従うなら、あなたの人生はうまくいくでしょう。しかし、あなたたちは先祖たちのように、自分の心を堅くし続けます。」(エレミヤ書7:21ー27)

そして、神様はこのように言われました。

この民は、自分の神、主の声を聞かず、懲らしめを受けなかった民だ。真実は消えうせ、彼らの口から断たれた。。。

わたしの目の前に悪を行なったからだ。――主の御告げ――

彼らは、わたしの名がつけられているこの家に自分たちの忌むべき物を置いて、これを汚した。。。

それゆえ、見よ、その日が来る。――主の御告げ――その日には、もはや、そこはトフェテとかベン・ヒノムの谷と呼ばれない。ただ虐殺の谷と呼ばれる。

人々はトフェテに、余地がないほどに葬る。(28ー30、32)

トフェテという所は、イスラエル人たちが自分の子供たちを偽物の神々にいけにえとしてささげた所でした。彼らが主の宮でいけにえを捧げながら、彼らはトフェテで、この酷いいけにえをささげました。

だから、神様は言われました。

「あなたを裁きます。あなたが私の宮に行っても、赦しません。なぜなら、あなたの心から史実が消え、あなたたちは私の言葉に聞かずに程いことをするからです。」

あなたはどうですか。教会に行くからといって、月曜日から土曜日まで犯した罪が赦されると思いますか。

その罪は赦されていません。もし月曜日から土曜日まで自分の道を行くなら、教会に行く意味はありません。

だから、毎日私たちは神様のために生きましょう。また、ミカの言葉を覚えておきましょう。

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。

それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。(ミカ書6:8)

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