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エレミヤ書

迷っている人々のために泣くこと

エレミヤ書8ー9章

エレミヤは「泣いている預言者」と呼ばれます。この箇所で、私たちはその理由を見ることができます。

時々、私たちは預言者たちの裁きのメッセージを見て、彼らがそのメッセージを伝えるのを楽しんでいると思うことがあります。

しかし、多分エレミヤのように、多くの預言者たちがそのイスラエル人のために泣いたのだと思います。なぜなら、イスラエル人たちは預言者たちの警告に耳を傾けず、裁きの道を歩んでいたからです。

だから、エレミヤはこのように言いました。

私の悲しみはいやされず、私の心は弱り果てている。聞け。遠くの地からの私の民の娘の叫び声を。

「主はシオンにおられないのか。シオンの王は、その中におられないのか」。。。

「刈り入れ時は過ぎ、夏も終わった。それなのに、私たちは救われない。」

私の民の娘の傷のために、私も傷つき、私は憂え、恐怖が、私を捕らえた。

乳香はギルアデにないのか。医者はそこにいないのか。それなのに、なぜ、私の民の娘の傷はいやされなかったのか。。。

ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを。

ああ、私が荒野に旅人の宿を持っていたなら、私の民を見捨てて、彼らから離れることができようものを。彼らはみな姦通者、裏切り者の集会だから。(8:18ー22;9:1ー2)

以前、私は言いましたが、旧約聖書の預言書を読み通すのは少し辛いです。なぜなら、何度も同じメッセージを伝えるからです。つまり、神様の裁きです。

なぜ預言者たちはいつもその裁きのメッセージを伝えたのでしょうか。それは、イスラエル人たちが罪を犯し続けたからです。

そして、彼らは新しい罪を犯していたわけではありません。むしろ、同じ罪を繰り返していました。彼らは自分たちの歴史から全く学びませんでした。

もし、最近あなたが私のブログを読んでいるなら、「ブルースは裁きについて書くのが大好き」だと思うかもしれません。

しかし、実際はあまり好きではありません。神様の愛と恵みについて話す方が、もっと楽しいです。

それでも、聖書の教師として、真実を語らなければなりません。そして、預言者たちのように、私の希望は人々が救われることです。

正直に言えば、私は罪に迷っている人々のためにもっとあわれみ深い心を持つ必要があります。

エレミヤのように、私は迷っている人々のためにさらに涙を流すべきです。彼らの必要を見て、彼らに手を差し伸べるべきです。

もし私たち皆がそのような心を持つなら、どれほどこの世の人々に大きな影響を与えることができるでしょうか。

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