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エレミヤ書

大いなる神

エレミヤ10:1-16

アメリカでは、私たちは金の偶像や木製の偶像をあまり目にしません。けれども、セックスや力、お金はアメリカ人の「偶像」となっています。

日本にもそのような「偶像」がありますが、仏教の偶像や神道の偶像も多く見られます。

もちろん、多くの日本人にとって、仏教や神道は文化的な伝統でしかありません。彼らはそれらを本当に信じているわけではありません。

それでも、その偶像礼拝を見ると、私は本当に悲しくなります。なぜなら、それらの「神々」は全く力を持たないからです。

それらの「神々」は、ただの木材や金にすぎません。

だからこそ、神様はこのように言われました。

国々の民のならわしはむなしいからだ。それは、林から切り出された木、木工が、なたで造った物にすぎない。

それは銀と金で飾られ、釘や、槌で、動かないように打ちつけられる。

それは、きゅうり畑のかかしのようで、ものも言えず、歩けないので、いちいち運んでやらなければならない。

そんな物を恐れるな。わざわいも幸いも下せないからだ。」(エレミヤ書10:3ー5)

また、

すべての人間は愚かで無知だ。すべての金細工人は、偶像のために恥を見る。その鋳た像は偽りで、その中に息がないからだ。

それは、むなしいもの、物笑いの種だ。刑罰の時に、それらは滅びる。(14ー15)

しかし、神様はそれらの「神々」と全く異なります。

主よ。あなたに並ぶ者はありません。あなたは大いなる方。あなたの御名は、力ある大いなるものです。諸国の民の王よ。

だれかあなたを恐れない者がありましょうか。それは、あなたに対して当然なことです。

諸国の民のすべての知恵ある者たちの中にも、そのすべての王国の中にも、あなたと並ぶような者はいないからです。(6ー7)

また、

しかし、主はまことの神、生ける神、とこしえの王。その怒りに地は震え、その憤りに国々は耐えられない。。。

主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。(10、12)

私は、その偶像を礼拝している人々を嘲っているのではありません。けれども、彼らがその偶像を捨てて、まことの神様を礼拝するように祈ります。神様こそが、私たちの礼拝にふさわしいお方です。

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