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エレミヤ書

神様が聞かない時

エレミヤ書11章

「ユダの人、エルサレムの住民の間に、謀反がある。

彼らは、わたしのことばを聞こうとしなかった彼らの先祖たちの咎をくり返し、彼ら自身も、ほかの神々に従って、これに仕えた。

イスラエルの家とユダの家は、わたしが彼らの先祖たちと結んだわたしの契約を破った。」(エレミヤ書11:9ー10)

現代でも、多くの人々は同じことをします。彼らは罪を捨てたにもかかわらず、その罪に戻ります。

ユダ人たちはこう思ったかもしれません。「罪を犯しても、大丈夫。もし、いけにえを捧げれば、神様はきっと私たちを赦してくださる。」

しかし、彼らはいけにえが意図的な罪のためではないことを忘れていました。

時々、私たちは意図せず罪を犯します。例えば、私たちは突然怒りに駆られて、悪いことをしてしまいます。

いけにえは、そのような罪のためのものでした。(そのいけにえについてもっと知りたいなら、これをご覧ください。)

ユダ人たちは、自分の罪を十分に理解していたにもかかわらず、その罪を犯し続けました。

だからこそ、神様はこのように言われました。

それゆえ、主はこう仰せられる。「見よ。わたしは彼らにわざわいを下す。彼らはそれからのがれることはできない。彼らはわたしに叫ぶだろうが、わたしは彼らに聞かない。(11)

また、

あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり祈りをささげたりしてはならない。彼らがわざわいに会ってわたしを呼ぶときにも、わたしは聞かないからだ。(14)

もちろん、私たちは恵みの時代に生きています。もし私たちが心から悔い改めたならば、神様は私たちを赦してくださいます。

とはいえ、悔い改めたとしても、罪の結果を避けることができるわけではありません。

例えば、もしあなたが不倫をした場合、神様に祈り、妻に頼んでも、妻があなたと離婚するかもしれません。

また、ギャンブルでお金を失った場合、神様に祈っても、あなたが自己破産するかもしれません。

だから、「神様が私を赦してくださるので、罪を犯しても良い」と言って、自分自身を欺いてはいけません。

むしろ、パウロが言ったように、

それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。(第二テモテ2:22)

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