この箇所では、さらに裁きの警告を読むことができます。エレミヤはユダ人たちに対して、彼らの罪が原因で追放されると警告しました。また、彼らが希望の光を求める一方で、神様が彼らを絶望の暗闇で覆うことになると告げました。
けれども、その裁きが訪れる前に、神様はもう一つの警告をお与えになりました。それが、日照りという形で示されました。
その日照りの中で、エレミヤは祈りました。「私たちは罪を犯しましたが、どうかお赦しください。」(エレミヤ書14:7-9)
しかし、神様は答えられました。
この民のために幸いを祈ってはならない。彼らが断食しても、わたしは彼らの叫びを聞かない。全焼のいけにえや、穀物のささげ物をささげても、わたしはそれを受け入れない。
かえって、剣とききんと疫病で、彼らをことごとく絶ち滅ぼす。(エレミヤ書14:11-12)
それでも、エレミヤはユダ人たちのために祈り続けました。彼はこのように祈りました。
異国のむなしい神々の中で、大雨を降らせる者がいるでしょうか。それとも、天が夕立を降らせるでしょうか。
私たちの神、主よ。それは、あなたではありませんか。私たちはあなたを待ち望みます。あなたがこれらすべてをなさるからです。(エレミヤ書14:22)
エレミヤが理解したのは、私たちにはただ一つの希望しかないということです。それは神様です。しかし、ユダ人たちは自分自身の力と知恵に頼り、また他の国々との同盟に依存しました。
その結果、彼らのプライドによって滅びました。そして、彼らがしがみついていた神々は彼らを救うことができませんでした。
あなたの希望はどこから来るのでしょうか。その希望は神様から来ているでしょうか。あなたは人生のすべてを神様に信頼していますか。神様の道を歩んでいますか。
それとも、ユダ人のように、自分自身に信頼し、この世の神々に従っているのでしょうか。
神様に信頼しない限り、私たちに希望はありません。だからこそ、裁きが訪れる前に、神様に向き直り、従いましょう。
