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エレミヤ書

神様の言葉を食べること

エレミヤ書15:1-17

ユダの状態は本当に悪化しました。そこで、神様はエレミヤに言われました。

「モーセやサムエルがこの民のために祈っても、私は聞かない。」

ヒゼキヤ王が亡くなった後、ユダ王国は徐々に霊的に堕落していきました。

ヒゼキヤの息子マナセはユダを偶像礼拝に導きました。マナセが悔い改めたにもかかわらず、ユダは自分の罪を犯し続けました。

ヨシヤ王はヒゼキヤのように神様を求めたにもかかわらず、多くのユダ人たちは罪を犯し続けました。

なぜでしょうか。彼らは神様の言葉を真に受け入れませんでした。彼らは、エレミヤや他の預言者たちを通してその言葉を聞きましたが、従うことを拒みました。

しかし、エレミヤは違いました。彼はこう言いました。

私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。

あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。

万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。(エレミヤ書15:16)

ユダ人たちは神様の言葉を味わった時、すぐに吐き出してしまいました。しかし、エレミヤがその言葉を味わった時、彼は喜び、それを受け入れて変わりました。

あなたはどうでしょうか。神様の言葉を聞いた時、どのように反応しますか。

ある人々は御言葉の栄養を十分に受け取っていないため、霊的に飢えています。彼らは日曜日のメッセージだけで十分だと思っています。

けれども、私たちは毎日食事をとりますよね。日曜日だけに食べる人がいるでしょうか。

また、他の人々は御言葉を聞きますが、すぐにその言葉を忘れてしまうため、彼らにとって御言葉は何の役にも立ちません。

もし、神様が私たちの人生に働くことを望んでおられるなら、私たちは神様の言葉を食べ、受け入れ、喜ばなければなりません。そして、その言葉に従うべきです。

そうするならば、私たちの思いは新しくされ、私たちの考え方と行動は変わります。

また、困難な時代に生きていても、私たちは裁きを受けることはありません。むしろ、エレミヤのように神様の憐れみを受けるのです。

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