クリスマスの時、私はいつもの時よりも、イエス様について考えます。特に、どうしてイエス様がこの世に来られたかを思い出します。
イエス様は私たちを裁くために来られたのではありません。イエス様は私たちを罪から救い出してくださり、贖うために来られました。そして、その働きによって、私たちは神様と和解しました。
この箇所では、いつも通り、私たちは裁きの話を見ます。
神様はエレミヤに言われました。
「人が亡くなると、その家族と友達と一緒に泣いてはなりません。なぜなら、慰める言葉がないからです。つまり、私はいつくしみと、あわれみを彼らから取り去ったからです。
そして、すぐに、多くの人々が亡くなり、皆が苦しむため、誰も慰める言葉を与えられません。」(エレミヤ書16:5-7)
また、神様はエレミヤに言われました。「ユダ人の宴会にも参加してはなりません。なぜなら、すぐに、私は彼らの喜びを取り去るからです。」(8)
そして、神様はエレミヤに言われました。
「この裁きの理由を彼らにはっきりと伝えなさい。つまり、彼らは自分の心を堅くし、私に背を向けて、自分の神々を礼拝し始めたからです。」(10-13)
けれども、14-15節から、神様のトーンは変わります。神様はエレミヤに言われました。
「今、皆は、どうやって私がイスラエル人たちをエジプトから救い出したかを思い出しています。しかし、ある日、私はもっと素晴らしいことをします。
イスラエル人たちとユダ人たちは追放されますが、いつか、私はもう一度彼らを自分の土地に導きます。なぜなら、私は彼らの先祖にその土地を与えると約束したからです。
そして、人々はエジプトからの救いについて話すよりも、追放からの救いについて話し始めます。」(14-15)
神様はその約束を守られました。神様はイスラエル人たちをペルシアから自分の土地に導かれました。
そして、イエス様の使徒の時代に、ローマがエルサレムを滅ぼし、ユダヤ人たちは各地に散らされました。自分の国は無くなりました。
けれども、1948年に、神様はもう一度彼らをイスラエルに導かれました。
なぜでしょうか。神様がイスラエルの救い主と贖い主であることを証明するためです。
ある日、全イスラエルはそのことを認めます。神様は彼らについてこう言われました。
だから、見よ、わたしは彼らに知らせる。今度こそ彼らに、わたしの手と、わたしの力を知らせる。彼らは、わたしの名が主であることを知る。(21)
現代、多くの人々は罪に迷っています。彼らはイスラエル人のように堅い心を持ち、神様に背を向けました。
しかし、イエス様は彼らを救い、贖うために来られました。また、イエス様は彼らに神様を表し、彼らが神様を知り、神様と和解するために来られました。
そのことを覚えておきしょう。そして、私たちの周りの人々にその良いニュースを伝えましょう。
