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エレミヤ書

一時的なものを求める、永遠のものを求めること

エレミヤ書45章

エレミヤの書記バルクは自己憐憫に浸っていました。バルクはエホヤキム王にエレミヤの言葉を伝えましたが、エホヤキム王はその巻物を切り裂き、焼き尽くしてしまいました。

そのため、バルクは本当に落ち込んでいました。彼は言いました。

ああ、哀れなこの私。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、いこいもない。(エレミヤ書45:3)

つまり、「どうして私はこんな仕事をしているのだろうか。エレミヤと主に仕えていますが、どんな報いを受けているのでしょうか。私は彼らに従いますが、いつも私はトラブルに巻き込まれることになってしまいます。

他の仕事を選んだ方がよかったのかもしれません。私はもっとお金をもらえる仕事をした方がいいのでしょうか。どうして私は、このようなことで時間を無駄にしているのでしょう。」

しかし、神様はこう答えられました。

見よ。わたしは自分が建てた物を自分でこわし、わたしが植えた物を自分で引き抜く。この全土をそうする。

あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。

見よ。わたしがすべての肉なる者に、わざわいを下すからだ。――主の御告げ――

しかし、わたしは、あなたの行くどんな所ででも、あなたのいのちを分捕り物としてあなたに与える。(4-5)

神様は何を言われているのでしょうか。この世は一時的なものだということです。いつか、私たちが見えるものは全てなくなります。

だから、この一時的な世のものを求めないでください。むしろ、神様と神の国を求めてください。そうすれば、他の人々が滅びるかもしれませんが、あなたは本当の命を見つけるでしょう。

あなたが正しいことをすると、時々失望することがあるでしょうか。神様に仕えることは時間の無駄遣いだと思われるでしょうか。この世のものを求めた方が良いと思われるでしょうか。

一時的なものを求めないでください。永遠のものを求めてください。そうすれば、本当の命と報いを見つけるでしょう。

だからこそ、パウロはこう言いました。

善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。(ガラテヤ6:9)

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