エレミヤはこの箇所を書いた時、ネブカデネザルは周りの国々を脅していました。彼はユダを脅しましたし、エジプトも脅しました。
この箇所では、神様はエジプト人とペリシテ人への裁きについて話しておられます。神様は、エジプトを通してペリシテは倒れるが、バビロンを通してエジプトは倒れると言われました。
神様は国々を裁くために、そのようなパターンをよく用いられます。
けれども、その裁きのメッセージの間に、神様はユダにこう言われました。
わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。イスラエルよ。おののくな。見よ。わたしが、あなたを遠くから、あなたの子孫を捕囚の地から、救うからだ。
ヤコブは帰って来て、平穏に安らかに生き、おびえさせる者はだれもいない。わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。――主の御告げ――
わたしがあなたとともにいるからだ。わた しは、あなたを追いやった先のすべての国々を滅ぼし尽くすからだ。わたしはあなたを滅ぼし尽くさない。
公義によって、あなたを懲らしめ、あなたを罰せずに おくことは決してないが。(エレミヤ書46:27ー28)
この箇所では、私は、神様がご自身の者と他の人々を区別されることに気づきます。
神様の者でなければ、裁きが来ます。そして、その裁きは確かなものです。
しかし、神様はご自身の者を決して捨てられません。神様は私たちを懲らしめられるかもしれませんが、時にはその懲らしめが非常に厳しいこともあります。
それでも、神様はいつも私たちの悔い改めのために働いておられます。そして、私たちがどんなに失敗しても、神様は私たちと共におられることを約束されます。
あなたの罪のため、神様があなたを罰していると思うかもしれません。また、神様があなたをもう諦めたと思うかもしれません。
しかし、イエス様があなたの主であるならば、あなたは神様の子です。そして、神様はあなたにこう言われます。
わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。(へブル13:5)
だから、
主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。。。
なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(へブル12:5ー6,10ー11)
