このブログで、この箇所について英語で書いた時(3年前)、私は命と死について深く考えていました。なぜなら、私の教会で本当に愛された方が亡くなったからです。
彼女は牧師ではありませんでしたが、生きている間に多くの人々に影響を与えました。
この箇所を読んだとき、私は自分の人生について考えました。
神様はバビロンに追放された人々に語られました。彼らは自分の家と国を離れざるを得ず、偶像で満ちた国に連れて行かれました。その国は本当に不敬虔な場所でした。
それでも、神様は彼らにこう言われました。
家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。
妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。
わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」(エレミヤ書29:5-7)
神様は、私たちに同じことを言われています。ユダヤ人と同じように、私たちも不敬虔で偶像に満ちた世界に住んでいます。そのため、「もう天国に行きたい。この世界の悪や問題に向き合いたくない」と言うのは簡単なことです。
けれども、神様は私たちにこう言われます。
「この世にいる間、私があなたに与えた人生を楽しみなさい。結婚しなさい。子供を産みなさい。働きなさい。そして、あなたが住んでいる場所の繁栄を求めなさい。その場所のために祈りなさい。なぜなら、その場所の繁栄はあなたの繁栄になるからです。」
時には、クリスチャンがこの世界から自分自身を隔離してしまうことがあります。彼らは恐れて、教会を自分たちの砦とし、神様にこう祈ります。「神様、私たちを守ってください。」
しかし、それは神様の望みではありません。神様は、私たちが自分のコミュニティの中で積極的な役割を果たすことを望んでおられます。
神様は、私たちが周囲の人々に触れて、影響を与えることを望んでおられます。神様は、私たちが政治に参加することを望んでおられます。(あなたは投票するでしょうか。)
さらに、神様は私たちが自分のコミュニティと国のために祈ることを望んでおられます。
そして神様は、私たちが未来を恐れずに、この世にも良い将来と希望があることを知るように望んでおられます。
神様はこう言われました。
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――
それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。。。(11-14)
神様はユダヤ人たちにそう言われましたが、私たちにもそう言われます。
ですから、私たちがこの世にいる間、主を求めましょう。また祈りましょう。
将来を恐れないでください。この世の悪を恐れないでください。
むしろ、神様が与えてくださった人生を楽しみましょう。私たちは、与えられた賜物を用いて、神様とその御国のために働きましょう。そして、周囲の人々に触れて、影響を与えましょう。
