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エレミヤ書

ジーニーじゃない

エレミヤ書21章

エゼキエルがいるバビロンからエルサレムに戻りましょう。ネブカデネザルはエルサレムの包囲を始めていました。

その時、ゼデキヤ王がパニックになり、それまでずっとエレミヤの裁きについての警告を無視していたにもかかわらず、エレミヤにメッセージを送りました。「私たちのために祈ってください。」

ゼデキヤはこう言いました。

どうか、私たちのために主に尋ねてください。バビロンの王ネブカデレザルが私たちを攻めています。

主がかつて、あらゆる奇しいみわざを行なわれたように、私たちにも行ない、彼を私たちから離れ去らせてくださるかもしれませんから。(エレミヤ書21:2)

これを読んだ時、私はアラジンのジーニーの話について考えていました。ゼデキヤ王は神様をジーニーとして考えていたからです。

ジーニーをランプに入れて物置に置いておき、普段はそのジーニーについて考えないけれど、トラブルが起こるとそのジーニーを呼んで助けを頼む、という話です。

でも、神様はジーニーではありません。神様はゼデキヤにこう言われました。

「私は助けてあげません。私はあなたに反対しているからです。私はあなたをネブカデネザルの手に渡します。彼はあなたを『惜しまず、容赦せず、あわれまない。』」(3-7)

それでも、神様はゼデキヤに一つの希望を与えてくださいました。

彼は裁きを避けることはできませんでしたが、死を避ける可能性はありました。そのためには、ゼデキヤは一つのことをしなくてはなりませんでした。つまり、神様に信頼することです。また、神様の言葉に従うことです。

神様はゼデキヤにこう言われました。

「あなたは、この民に言え。主はこう仰せられる。「見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。

この町にとどまる者は、剣とききんと疫病によって死ぬが、出て、あなたがたを囲んでいるカルデヤ人にくだる者は、生きて、そのいのちは彼の分捕り物となる。

なぜならわたしは、幸いのためにではなく、わざわいのためにこの町から顔をそむけるからである。――主の御告げ――

この町は、バビロンの王の手に渡され、彼はこれを火で焼くであろう。」」(8-10)

つまり、「あなたが今まで私に信頼していないけれど、今私を信じてください。あなたは裁きから逃げられません。バビロン人(つまり、カルデヤ人)にくだるのは怖いかもしれませんが、そうすれば、あなたは生きるのです。」

そして、神様はゼデキヤにこう言われました。「あなたの民に正義を与えなさい。あなたのプライドを捨てなさい。今まであなたがそのことをしていないので、裁きが来ました。」

しかし、ゼデキヤは神様の言葉に従いませんでした。神様がゼデキヤのジーニーのように答えられなかったので、ゼデキヤは神様にもう一度背を向けたのです。だから結局、彼の世界は倒れました。

あなたはどうですか。どのように神様を見なすでしょうか。神様をあなたのジーニーと見なすでしょうか。もしくは、あなたの神として認めるでしょうか。

あなたは神様に信頼しているでしょうか。また、神様に従っているでしょうか。

たくさんの人は、自分の道を行くことを幸せだと思います。また、神様が彼らの願いを叶えるなら、彼らは幸せになると思います。しかし、本当の幸せは、神様を認め、神様に信頼し、従うことです。

神様に信頼し、従おう。
イエス様にあって幸せになるため、
他の方法はないから。

ーージョン・H・サミス

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