私はこの箇所が大好きです。なぜなら、この箇所は私たちの天の父の御心を表しているからです。
主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」(エレミヤ書31:3)
この箇所では、エレミヤはイスラエルの将来の癒しについて話します。その言葉の中に自分の民に対する神様の御心を見ることができます。
8-9節に、神様はイスラエル人を自分の土地に帰らせると約束されます。その時、自分の過去の罪のために泣く人もいるし、神様の憐みを感謝するために泣く人もいます。
そのとき、神様はこう言われました。
わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。
わたしはイスラエルの父となろう。エフライムはわたしの長子だから。」(9)
私たちは何回も神様の憐み深い御心を見ることができます。自分の子供たちが反抗的な態度を取るのに、神様は永遠の愛を持って、彼らを愛してくださいます。
わたしは、エフライムが嘆いているのを確かに聞いた。
『あなたが私を懲らしめられたので、くびきに慣れない子牛のように、私は懲らしめを受けました。
私を帰らせてください。そうすれば、帰ります。主よ。あなたは私の神だからです。
私は、そむいたあとで、悔い、悟って後、ももを打ちました。私は恥を見、はずかしめを受けました。私の若いころのそしりを負っているからです』と。
エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。
それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。――主の御告げ――(18-20)
だから、神様は自分の民にこう言われました。
おとめイスラエルよ。帰れ。これら、あなたの町々に帰れ。裏切り娘よ。いつまで迷い歩くのか。(21-22)
この箇所から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。神様は私たちを愛することを決して止められません。私たちが神様から立ち去っても、神様は私たちの戻りを待ち望んでおられます。
ある歌はその真理をよく表しています。
全能の神、
永遠の神、
動かない岩、
力ある神、
素晴らしい神、
勝利の戦士、
王の王、
強い戦勝者その神様が走るのを一度しか見たことがありません。
神様は私のところに走って、
私を抱きしめ、
「私の息子は帰りました」と言われました。神様は私の頭を上げて、
私の涙をぬぐい、
赦しの声でこう言われました。
「私の子よ。私があなたをまだ愛していることを知っていますか。」私は驚きました。
なぜなら、神様は走られたからです。ーーベニー・ヘスター
神様。私が罪を犯しても、また失敗しても、また、あなたから立ち去っても、あなたが私をまだ愛してくださり、感謝します。あなたの永遠の愛に感謝します。
あなたが私のために待つだけではなく、私のところに駆け寄ってくださることを感謝します。あなたを愛します。アーメン。
