これは私のお気に入りの箇所の一つです。
エゼキエルのように、エレミヤはイスラエル人がよく引用していたことわざについて話します。
父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。(エレミヤ書31:29)
つまり、「私たちは悪いことを全然しなかった。私たちは先祖の罪のために苦しんでいる。それは不公平だ。」
しかし、神様は彼らに言われました。「あなたの先祖の罪のために苦しまない。自分自身の罪のために苦しむのです。」
けれども、この箇所は、裁きよりも、神様の憐みに焦点を当てています。神様は彼らにこう言われました。
見よ。その日が来る。――主の御告げ――その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家に、人間の種と家畜の種を蒔く。
かつてわたしが、引き抜き、引き倒し、こわし、滅ぼし、わざわいを与えようと、彼らを見張っていたように、今度は、彼らを建て直し、また植えるために見守ろう。――主の御告げ――(27-28)
そして、神様は将来設立される新しい契約について話されます。
見よ。その日が来る。――主の御告げ――その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。
わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。――主の御告げ――
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ――
わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
そのようにして、人々はもはや、 『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。――主の御告げ――
わたしは彼ら の咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」(エレミヤ書31:31-34)
この契約はキリストによって成就しました。以前の契約と新しい契約の違いは何でしょうか。
主な違いは、以前の契約は双方向の契約だったということです。新しい契約は一方的な契約です。
以前の契約では、イスラエル人が神様の命令に従うと、神様は彼らを祝福すると約束されました。
しかし、彼らがその命令に従わないと、彼らは呪われました。結局、彼らが何回もその契約を破ったので、彼らは呪われたのです。
けれども、新しい契約は全然違います。その契約は私たちの行動によるものではありません。むしろ、その契約は神様の行動に基づいています。
だから、私たちが自分の心を変えることができなくても、神様は私たちの心を変えてくださると約束されました。
つまり、神様は私たちの心にご自身の律法を置き、神様に従う心を与えてくださると約束されたのです。
もう一つの違いがあります。それは、皆が神様のみもとに近づくことができるようになったことです。
私たちはもう人間の祭司や仲介者を必要としません。むしろ、私たちは神様と直接話すことができます。また、私たちの罪の代価が支払われ、私たちの罪が赦されたので、神様はその罪をもう思い出されません。
それが新しい契約です。また、それは、私たちが宣べ伝える良い知らせです。
私たちは神様の好意を得るために働く必要がありません。むしろ、恵みによって、私たちはその好意を受け取ります。
神様が私たちを既に受け入れてくださったので、私たちは神様の前でリラックスすることができます。
とはいえ、その恵みを当然のものと思わないでください。毎日、その素晴らしい賜物に感謝しましょう。
