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エレミヤ書 列王記第二

恵み

列王記第二25:27-37;エレミヤ書52:31-34

今日、エレミヤ書と列王記を終えます。

この話はエホヤキン王についてです。彼はユダの最後から二番目の王でした。彼はわずか3か月間だけユダを治めました。その後、彼はネブカデネザルによってバビロンに追放されました。

けれども、それでエホヤキンの話が終わったわけではありません。

ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十五日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が即位した年のうちに、ユダの王エホヤキンを釈放し、獄屋から出し、彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。

彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。

彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されていた。(エレミヤ書52:31-34)

どうして、神様は私たちにこの話を伝えられたのでしょうか。どうして、突然バビロンの王はエホヤキンに親切にしたのでしょうか。

聖書では、その理由が全く書かれていません。

しかし、ユダヤ教の伝承によれば、エホヤキンはバビロンで悔い改めたので、神様はネブカデネザルの息子(エビル・メロダク)の心に働きかけ、彼がエホヤキンに親切にし始めました。

その伝承が本当かどうかは分かりません。けれども、おそらくこの話は神様の恵みの象徴です。この話を読むと、私は神様が私たちのために何をしてくださったかを思い出します。

エホヤキンはバビロンの王のために何もしていなかったのに、その王は彼を解放し、親切な言葉をかけ、新しい衣を与え、共に食事をし、彼の位を高めました。

神様は私たちのために同じことをしてくださいました。

私たちが神様のために何もしていなかったのに、神様の恵みとあわれみによって、神様は私たちを救ってくださいました。

神様は私たちの罪を赦し、罪と死の鎖を解き、私たちに親切な言葉をかけ、キリストの義を着せてくださいました。

そして、いつの日か私たちは神様の食卓で共に食事をし、栄光の冠をいただくでしょう。

それが恵みです。

興味深いのは、第12の月の25日にエホヤキンの許しが公表されたということです。(おそらくわずか2日後に彼は牢から解放されました。(列王記第二25:27))

私は真剣に言っているわけではありませんが、神様は将来の出来事を知っておられ、人々がイエス様の誕生を12月25日に祝うことを知っておられました。

そのため、エホヤキンの赦しは、私たちの赦しの象徴であるとも言えるかもしれません。

メリークリスマス、エホヤキン!

…多分そうではありません。それを無視してください。

とにかく、大切なのは、私たちが受けたすべての祝福は、ただ神様の恵みによるものだということです。

それを心に留めておきましょう。

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