多分、詩篇126篇はエズラとネヘミヤの時代に書かれたものでしょう。この詩篇では、ユダヤ人はバビロンの追放からエルサレムへの帰還を振り返っています。
この詩人の喜びをよく見ることができます。
主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。
そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。
「主は彼らのために大いなることをなされた。」
主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。(詩篇126:1-3)
この詩篇について考えると、新しいエルサレムはそのようなものだろうと思います。私たちの目が光り輝き、私たちの口は喜びと笑いで満たされるでしょう。
この世の旅を振り返ると、私たちは神様の御業を見ます。つまり、神様は十字架によって、私たちをサタンの国から解放してくださいました。
この世では、私たちはたくさんの涙と共に種を蒔くかもしれませんが、最終的には喜び叫びながら刈り取ります。それに、私たちの苦労のために、神様は報いを与えてくださいます。
だからパウロはこう書きました。
ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。
あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。(第一コリント15:58)
