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ルカの福音書 ルカ12章

愚かな金持ちのたとえ話:私たちの時間が来るとき

ルカの福音書12:13-21

私たちの命は非常にもろいものです。一瞬で、それが奪われることもあります。交通事故や地震などの災害が起これば、私たちは突然亡くなるかもしれません。

その日、私たちが神様の御前に立ったとき、神様は私たちに何と言われるでしょうか。

今日の箇所では、一人の男性がイエス様に、家族の遺産を分けるよう求めました。どうやら、彼の兄が遺産を公平に分けていなかったようです。

ところが、おそらくイエス様の目には、さらに大きな問題があったのでしょう。つまり、その男性はお金に心を奪われすぎていたのです。

彼の父親は裕福であり、彼は長い間、その遺産を受け取ることを夢見ていたのかもしれません。けれども、父親が亡くなったとき、彼は期待していたほどの遺産を受け取ることができず、その夢は崩れ去りました。

そこで、彼はイエス様に助けを求めました。

しかし、イエス様はその願いをきっぱりと断られました。

いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。(ルカの福音書12:14)

簡単に言えば、「絶対にだめだ」ということです。

そして、イエス様は彼に警告を与えられました。

それ以前、イエス様は弟子たちに偽善について警告されましたが、その男性の願いを聞いた後、イエス様は彼と弟子たちに対して貪欲について警告されました。

どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。(15)

イエス様は、その男性と弟子たちに何を伝えたかったのでしょうか。

それは、私たちの人生において、この世のものが最も大切なものではないということです。快適な生活や豪華なライフスタイルは、本質的にはそれほど重要ではありません。

そして、イエス様はたとえ話をされました。その話の中に、一人の金持ちが登場します。彼は多くの財産を持ち、贅沢な暮らしをしていました。

そして、ある年、彼の畑は豊作となりました。彼はどのようにしようかと考えました。

彼は貧しい人々に食べ物を分け与えることもできましたし、財産を使って多くの人を助けることもできました。けれども、彼はそうせず、自分自身のことだけを考えました。そして、彼はこう言いました。

こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。

「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」(18-19)

多くの人々はそのような夢を抱いています。彼らは早く引退し、自分のためだけに生きたいと願っています。

「安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」

ところが、神様はその人にこう言われました。

愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。(20)

そして、イエス様はこのたとえ話を次のように締めくくられました。

自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。(21)

では、私の元の質問に戻りましょう。もし私たちがこの世を去り、神様の御前に立つとき、神様は私たちに何と言われるでしょうか。

神様はこう言われるでしょうか。 「愚か者よ。あなたは人生の中で無駄なものを追い求め、自分の人生を無意味なものにしてしまった。」

それとも、神様はこう言われるでしょうか。

「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかなものに忠実だったから、私はあなたに多くのものを任せよう。主人の喜びを共に喜んでくれ。」(マタイ25:23 )

2 replies on “愚かな金持ちのたとえ話:私たちの時間が来るとき”

導きの言葉をありがとうございました。私はつい最近、イエス様を信じるようになりました。
まだまだ未熟な信仰心しか持っていませんが、少しでも早く胸をはってクリスチャンです。と言えるように生きていきたいと思います。

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bkshiroma への返信 コメントをキャンセル