この箇所では、私たちは教会の最初の殉教者を見ることができます。それはステパノでした。
6章では、使徒たちがやもめの世話をするために7人の執事を任命しました。ステパノはその執事の一人でした。
しかし、彼がイエス様の言葉を述べ伝えたとき、宗教的指導者たちは彼と対立しました。ステパノは逮捕され、最高法院の前に立たなくてはなりませんでした。そこで、多くの証人が彼に偽りの告発をしました。
ステパノが自ら弁解するとき、彼はイスラエルの歴史を詳しく語りました。その中心的なポイントは、ユダヤ人たちが何度も、彼らを救うために神様が遣わした人々を拒絶してきたことです。
ヨセフの兄弟たちはヨセフを奴隷として売りましたが、何年か後、飢饉の際にヨセフは彼らを救いました。
イスラエルの民もまたモーセを拒絶しました。彼が王子であったとき、彼らはモーセを受け入れず、エジプトを脱出した後も彼に反抗しました。
彼らが神様の約束の地に入った後も、そのパターンは続きました。彼らは預言者たちの言葉を拒絶し、偶像を礼拝しました。
そして、彼らはイエス様を拒絶し、殺しました。
それでも、彼らはなお「私たちは神様の民だ」と言い張りました。なぜなら、彼らは神殿で神を礼拝していたからです。
ところが、ステパノは彼らにこう言いました。
しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。
「天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたがたは、わたしのためにどのような家を建てようとするのか。 ーー主の言葉ーー 私の安息の場は、いったいどこにあるのか。わたしの手が造ったものではないか。」(使徒の働き7:48-50)
要するに、「もしあなたが、あなたを救うために神様が遣わした方を拒絶するなら、あなたが神殿で礼拝しても、それは無意味です。」ということです。
最高法院の人々の反応はどうだったでしょうか。彼らは先祖のパターンに従いました。彼らはステパノを殺しました。
あなたはどうでしょうか。あなたの人生のパターンは何でしょうか。あなたは宗教的な人かもしれません。毎週教会に行き、良い行いをしているかもしれません。
それでも、もしあなたがイエス様を主と神として拒絶し、福音を伝える人々を拒絶するなら、あなたの良い行いは神様の目には無意
味です。むしろ、かつて神様とそのメッセンジャーを拒絶した者たちと同じように、あなたは裁かれることになります。
救いへの道はただ一つ、それはイエス様です。今日、あなたはイエス様を受け入れませんか。
天のお父様、私は罪を犯しました。私は自分の道を歩み、あなたが遣わされたイエス様を拒絶してきました。どうか赦してください。
イエス様、あなたが私の罪のために死んでくださったことを感謝します。私はあなたを主と救い主として受け入れます。
あなたの御霊で私を満たしてください。毎日どのように生きるべきかを教えてください。あなたの名前によって祈ります。アーメン。
