救いの神秘の一つは、救いが神様の召命を通して与えられるものであり、その召命は決して取り消されることのないものだということです。
パウロはイスラエルの例を用いて、この真理を描写しています。神様がさまざまな奇跡を行い、恵みを与えられたにもかかわらず、イスラエル人は心を頑なにし、神様に背を向けました。
そして、パウロはこう言いました。
それでは尋ねますが、神はご自分の民を退けられたのでしょうか。(ローマ人への手紙10:1a)
パウロの答えは何でしょうか。
決してそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の出身です。(2b)
要するに、「私はユダヤ人ですが、救われました。だから、神様がすべてのユダヤ人を退けたとは言えません。」
そして、パウロは非常に興味深いことを語ります。
神は、前から知っていたご自分の民を退けられたのではありません。(2)
では、パウロのポイントは何でしょうか。
神様はあらかじめユダヤ人がご自身に対して心を頑なにすることを知っていたにもかかわらず、彼らを選ばれました。ユダヤ人が神様を拒絶し、イエス様を十字架につけたとき、神様は決して驚かれませんでした。
したがって、ユダヤ人の行為によって、神様が突然彼らを退けることを決めたわけではありません。
むしろ、神様はあるユダヤ人がイエス様を拒絶することを知っておられましたが、他のユダヤ人がイエス様を信じることも知っておられました。
どうしてそう知っていたのでしょうか。それは、神様が世界を創造される前から、彼らを救いのために選ばれていたからです。
だから、預言者エリヤが神様に「私だけがあなたに従っている」と訴えたとき、神様はこう答えられました。
「わたしは、わたし自身のために、男子七千人を残している。これらの者は、バアルに膝をかがめなかった者たちである。」(4)
だから、パウロは自分の時代のユダヤ人について、こう語りました。
ですから、同じように今この時にも、恵みの選びによって残された者たちがいます。(5)
そして、パウロは神様の救いの計画を明らかにします。神様はこの世が造られる前から、その計画を立てられました。その計画とは何でしょうか。
ユダヤ人が自分のメシアを拒絶したことによって、福音は全世界に広がり、多くの異邦人(ユダヤ人ではない人々)が救われ、神様の子供となりました。
そして、ユダヤ人はその神様との関係に憧れ、神様が彼らをその関係へと召されたことを思い出します。だから、彼らは自らの愚かさを認識し、悔い改めて救われます。
最終的に、すべてのユダヤ人がイエス様を認め、救われるようです(26ー27)。
そして、パウロはこう語りました。
彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です。(28)
要するに、ユダヤ人はクリスチャンを迫害していました。それでも、神様はなおもユダヤ人を愛し、彼らを救おうとされました。
なぜでしょうか。彼らが善良な人々だったからでしょうか。違います。神様はアブラハム、イサク、ヤコブのゆえに彼らを愛されているのです。
さらに、神様はこの三人に約束をされ、その約束を決して取り消されません。
だから、パウロはこう語りました。
神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。(29)
その言葉は私たちにも当てはめられます。神様の賜物と召命は決して取り消されることがありません。
私たちが生まれる前から、神様はすでに私たちを知っておられました。神様は私たちの疑いをも、失敗をも知っておられました。それでもなお、神様は私たちを選ばれたのです。
だからこそ、私たちが疑うときや失敗するときに、神様が私たちを見捨てるのではないかと恐れる必要はありません。なぜなら、神様の賜物と召命は決して取り消されないからです。
そして、パウロが言ったように、神様が始められたことを必ず完成されます。(ピリピ人への手紙1:6)
