あなたは、自分自身をどのような人物だと思いますか。
パウロの自己認識は、とても興味深いものです。彼はクリスチャンになると、名前を「サウロ」から「パウロ」に変えました。「パウロ」という名前には、「小さい」という意味があります。
彼は「ヘブル人の中のヘブル人」でした。また、かつてはパリサイ人でした。クリスチャンになる前、彼は自分の立場や経歴を誇っていました。
けれども、イエス様と出会うことで、彼は謙遜になりました。それまで神様に仕えていると思っていた彼は、実は神様を迫害していたことに気づかされました。彼は、自分が正しい人ではなく、むしろ殺人者であったことを理解したのです。
この箇所で、パウロは自分自身を「月足らずで生まれた者のような人」と呼びました。つまり、彼は霊的な意味で死産児のような存在だったのです。
過去の罪深い歩みを振り返り、パウロは自分を「使徒の中で最も小さい者」と呼びました。また、「私は使徒と呼ばれるに値しない者だ」とも言いました。
あなたも、自分自身について同じように感じているかもしれません。自分を取るに足りない存在だと見なし、「生まれなければよかった」と思うことがあるかもしれません。
パウロの言葉を読んで、思い巡らしてください
ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず。。。(コリント人への手紙第一15:10)
パウロが伝えたかったことは何でしょうか。
それは、彼の過去にもかかわらず、神様が彼を受け入れ、恵みによって彼が変わり続けているということです。神様は決してパウロを見捨てませんでした。
私たちも、この真理を忘れてはなりません。あなたの過去にも、現在の状態にもかかわらず、神様はありのままのあなたを受け入れてくださいます。あなたの罪や失敗にもかかわらず、神様はあなたを受け入れます。
そして、神様はあなたを罪の中に放置することなく、あなたを清め、ご自身の計画に従って形作り続けてくださいます。
では、私たちはどのように応答すべきでしょうか。感謝と謙遜をもって応答するべきです。
パウロはこう書きました。
私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。(10)
パウロは神様への感謝から、心を尽くして仕えたいと願いました。それでも彼は自分の業績を誇ることはありませんでした。パウロは、神様が彼を用いることを選ばれたのは、神様の恵みであると理解していました。
神様がパウロを用いる必要はありませんでした。彼は汚れた、壊れた器でした。それでも、神様はご自身の栄光のために彼を用いられました。
あなたはどうでしょうか。自分自身をどのように見ていますか。
パウロのように、「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず」と言えるでしょうか。
