英会話学校で教えていたある日、私は隣の教室で交わされる会話を耳にしました。先生と生徒たちはイースターについて話していました。
生徒:「イースターとは何ですか。」
先生:「クリスチャンたちは、その日にイエス・キリストが復活したと信じています。」
生徒:(沈黙)
もしかすると、生徒たちは驚いた表情で先生を見つめていたのかもしれません。それを感じ取った先生は続けて言いました。「私はそれを信じていません。ただ、クリスチャンたちはそう信じています。」
私は子供のころからクリスチャンなので、イエス様の復活を当然のことだと思っていました。しかし、改めて考えてみると、それはとても不思議な教会の教えです。さらに、信じるのが難しいことでもあります。
もしかすると、あなたはこう尋ねるかもしれません。「クリスチャンにとって、イエス様の復活を信じることはそんなに重要なのでしょうか。イエス様の教えや十字架の働きだけを伝えれば十分なのではないですか。」
実は、コリントのクリスチャンたちも同じ疑問を抱きました。そして、ある人々はイエス様の復活を否定し始めたようです。
だからこそ、パウロは復活の真実性を強く論じました。彼はこう述べました。
ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。
もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。(コリント人への手紙第一15:14)
なぜパウロはそのように語ったのでしょうか。もしイエス様がよみがえらなかったとしたら、なぜ私たちの宣教と信仰は空しいものになってしまうのでしょうか。
パウロはその理由を説明します。
そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。(17-18)
なぜ、イエス様の復活はそれほど重要なのでしょうか。イエス様の復活によって、神様はイエス様の十字架の働きを受け入れたことを証明されました。
その復活を通して、神様は私たちにこう語られます。「イエスの十字架の働きによって、あなたは赦されました。」
しかし、もしイエス様がまだ死んだままであるなら、神様がイエス様の十字架の働きを受け入れていないことを意味します。その場合、私たちは死後、地獄へ行くことになります。それなら、「私たちはすべての人の中で最も哀れな者です。」(19)
なぜなら、私たちは救われたと思っていても、実際には地獄に行ってしまうからです。そのような希望は虚しいものとなってしまいます。
さらに、パウロや他のクリスチャンたちはイエス様のために迫害され、苦しんでいました。もしイエス様がよみがえられなかったとしたら、その苦しみも無意味なものになってしまいます。彼らは神様からの報いを受けることができません。(32)
それなら、私たちはただ自分自身のために生きるほうがよいのではないでしょうか。そこでパウロはこう語りました。
もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。(32)
けれども、イエス様は実際によみがえられました。神様はイエス様の十字架の働きを受け入れられたのです。だからこそ、イエス様を信じるなら、私たちもいつかイエス様と共に復活します。
さらに、イエス様がこの世に戻り、すべてを新しくされるという希望を持っています。イエス様はすべての人を治め、死をも治められます。(20ー27)
だから、この世でイエス様のために苦しもうとも、たとえ命を落とすことがあっても、私たちは神様からの報いをいただけるという確信を持っています。
では、なぜ復活はそれほど重要なのでしょうか。復活こそが、私たちの希望の土台だからです。もし復活がなかったとしたら、私たちには何の希望もありません。
しかし、復活があるからこそ、人に奪われることのない希望と喜びを持つことができるのです。
あなたは、その希望を持っていますか。
