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ピリピ人への手紙

キリストの模範に従う(2)

ピリピ人への手紙3:1-11

数日前、私は「イエス様の模範に従うこと」についてお話ししました。

ピリピ人への手紙3章では、パウロは自分自身について語っていますが、2章の内容を踏まえて読むとき、彼の言葉をまったく別の視点から見ることができるように思います。

そこで、パウロの言葉に耳を傾けてみましょう。

「しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。」(ピリピ人への手紙3:7)

クリスチャンになる前、パウロは自分がユダヤ人であること、 そしてパリサイ人であることを誇っていました。

また、彼は律法を忠実に守ろうとする努力そのものを誇りとしていたのです。

しかし、クリスチャンとなったとき、パウロはキリストのゆえに、そのような誇りをすべて捨てました。

それだけではなく、イエス様との関係と比べて、パウロはこの世のすべてのものを、価値のないものと見なしたのです。

イエス様を得、イエス様の義に包まれたいという願いのために、 彼はそれらを「ちりあくた」と見なしました(3:8〜9)。

そして、パウロの主な願いは、イエス様とその復活の力を知り、 イエス様の苦しみにあずかり、キリストの死と同じ状態にまで達することでした。

最終的には、イエス様と共に復活させられることを熱く望んでいたのです(3:10)。

それと同じように、イエス様もまた、私たちのために、ご自身にとって益であったすべてのものを、損と見なされました。

私たちとの関係と比べると、イエス様は、天にあるご自身の栄光さえも、価値のないものとされたのです。

私たちを得て、ご自身の義によって私たちを包むために、イエス様は、天のすべてのものを“ちりあくた”と見なされたのです。

イエス様の望みは、私たちがイエス様とその復活の力を知り、 イエス様の苦しみにあずかり、イエス様の死と同じ姿にあずかって、ついには栄光のうちに復活することです。

そのゆえに、イエス様は十字架へと進み、苦しみを受けられました。

それならば、私たちもイエス様のために、同じ道を歩むべきではないでしょうか。イエス様が私たちのためにすべてを捨てられたのだから、私たちもまた、イエス様のためにすべてをささげるべきではないでしょうか。

さあ、日々、イエス様の模範に従って歩みましょう。

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