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ヤコブの手紙

真の信仰がどのように表現されるか(2)

ヤコブの手紙2:14-26

毎日聖書を読むとき、私たちはよく聖書の書を小さい部分に分けます。もちろん、それでも構いませんが、注意すべき点があります。時々、そのように聖書を読むことで、その書の全体的な流れや意味を見落としてしまうことがあるのです。

例えば、著者が1章から2章まで長い議論を展開しているかもしれません。しかし、私たちはある日に1章を読み、次の日に2章を読むため、1章の内容を忘れ、その議論の重要な部分を切り離してしまうことがあります。

この場合、ヤコブの議論は1:26-27から始まります。その箇所でヤコブが述べているのは、真の宗教、真の信仰は、愛、清い言葉、そして聖い人生へと導くということです。

今日の話では、ヤコブは真の信仰が愛によって表現されることについて語り続けます。パウロもこのことについて述べました。彼はこう言いました。

キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。(ガラテヤ5:6)

特に、ヤコブは私たちが貧しい人や卑しい人をどのように扱うべきかについて語ります。彼らに愛を示さず、逆に見下すならば、私たちは罪人のように振る舞っているのです。

私たちは殺人や姦淫を犯さないかもしれません。しかし、神様の目から見れば、私たちは律法の違反者です。だからこそ、ヤコブは私たちに警告します。「貧しい人や卑しい人を見下してはいけません。むしろ、彼らを憐れみなさい。」

そして、ヤコブはその例を用いて、自らの要点に立ち返ります。それは、真の宗教や真の信仰が、変えられた人生へと導くはずだということです。

ヤコブはこう言いました。

私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。(ヤコブの手紙2:14)

その文脈を覚えていれば、ヤコブが「行為」と言うとき、それが愛の行為を指していることが分かるでしょう。言い換えれば、「もし愛を持っていないなら、どうして自分が信仰を持っていると主張できるでしょうか。」

そして、ヤコブは自らのポイントを具体的に描写します。

兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。

同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。(15-17)

この描写の中で、ヤコブは行為を伴わない言葉の空しさを示しています。

もしある人が貧しい者に「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言えば、その人は優しそうに見えます。しかし、その人が実際に貧しい者を助けなければ、その言葉は心からのものではなかったことを証明してしまいます。それはただの空しい言葉にすぎません。

ヤコブはこのポイントを強調して、こう言います。

あなたは、神は唯一だと信じています。立派なことです。ですが、悪霊どもも信じて、身震いしています。(19)

簡単に言えば、真理に同意するだけでは十分ではありません。「私は神様を信じる」と言うことだけでは足りないのです。真の信仰は、いつも変えられた人生へと導きます。その変化の一つは、あなたが周りの人々を愛し始めることです。

その変化には時間がかかるかもしれません。自分が変わるのは難しいかもしれません。しかし、真の信仰を持っているならば、あなたは確実に進歩していきます。

もし振り返ったとき、あなたの人生に神様がもたらした変化を見ることができないなら、もしあなたがより成熟していないならば、自分自身に問いかけるべきです。「私はどんな信仰を持っているのだろうか。」

次の記事では、この話を続けます。

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