前回の記事で、私は天国の栄光や神様の民の栄光について話しました。また、天国にある素晴らしいものを見ました。
でも、天国に入ることができないものもあります。それは、罪です。
罪をあえて犯す人や神様に反抗する人は、神様の民に属さず、その遺産を受けることもできません。旧約聖書の時代にも(レビ記18章)、その通りだったし、新約聖書の時代にもそうでした。
でも、どうしてでしょうか。神様は寛容な方ではないでしょうか?
けれども、天国とは死も悲しみも叫び声も苦しみもない場所です(21:4)。
もし神様が罪のある者の天国入りを許すなら、死も悲しみも叫び声も苦しみも天国に入ってしまいます。この世を見れば、それがよく分かるでしょう。
あなたは、それらを望みますか?私は望みません。
だから、神様はこう言われます。
しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。(黙示録21:8)
また、
しかし、すべての汚れたもの、また忌まわしいことや偽りを行う者は、決して都に入れない。入ることができるのは、子羊のいのちの書に記されている者たちだけである。(21:27)
また、
犬ども、魔術を行う者、淫らなことを行う者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は、外にとどめられる。(22:15)
ちょっと注目してください。
殺害者だけが天国に入ることができないわけではありません。
嘘をつく人も入ることができません。
偶像礼拝をする人も入ることができません。この世のものを神様よりも大事にする人は、入ることができません。
性的な罪を犯す人も入ることができません。性的な罪とは、異性愛の結婚関係の中でのセックス以外の、すべての性的なふるまいのことです。
さらに、忌まわしいことや偽りを行う者も入ることができません。
しかし、最も重い罪は神様を信じないことです。イエス様とその十字架の働きを信じようとせず、頑なに自分の道を進む人です。
そのような人は、天国に入ることができません。
あなたは、上記の罪を犯したことがありますか?もしそうならば、あなたも天国に入ることはできないはずです。
けれども、あなたの名前が子羊のいのちの書に記されているなら、入ることができます。つまり、自分の罪を悔い改め、心を神様にささげるなら、天国に入ることができるのです。
私が以前に述べたとおり、あなたの永遠の運命は2冊の書物に記されている内容によって決まります。
1冊目は、子羊のいのちの書です。イエス様の十字架の働きを信じる者の名前がそこに記されています。
2冊目の書物には、私たちのすべての行為が記されています。良い行為だけでなく、悪い行為も書かれています。
覚えておいてください。私たちは、良い行為のせいで天国に入れないわけではありません。むしろ、悪い行為のゆえに天国に入ることができないのです。そして、あの書物に悪い行為が1つでも記されているなら、天国に入ることはできません。
残念ながら、悪い行為をひとつも犯していない人は誰もいません。
だから、自分の実績によって天国に入ろうとするなら、入ることはできません。あなたの名前が子羊のいのちの書に記されていてこそ、天国に入ることができるのです。
そのためには、自分の心をキリストにささげ、イエス様を自分の王、そして救い主として受け入れなくてはなりません。
使徒パウロはこう言いました。
罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23)
あなたはどうされますか。今日、キリストを受け入れませんか。
