ですから、目を覚ましていなさい。家の主人がいつ帰って来るのか、夕方なのか、夜中なのか、鶏の鳴くころなのか、明け方なのか、分からないからです。
主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見ることがないようにしなさい。
わたしがあなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです。目を覚ましていなさい。」(マルコ13:35ー37)
彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、目を覚ましていなさい。」。。。イエスは戻り、彼らが眠っているのを見(ました。)(マルコ14:34、37)
興味深いことは、ゲツセマネで弟子たちが、イエス様がさっき語られた例え話を演じたということです。例え話を語られたとき、またゲツセマネに着かれたとき、イエス様は同じことを言われました。「目を覚ましていなさい。」
ところが、弟子たちの主が戻られると、彼らは眠っていました。なぜでしょうか。ルカは説明します。「彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。」(ルカ22:45)
その前、イエス様はご自身がすぐに去っていかれると言われました(ヨハネ16:5〜6)。
イエス様は、弟子の一人がご自身を裏切ると言われました(マルコ14:18)。
イエス様は、弟子たち全員がご自身を見捨てると言われました(マルコ14:27)。
イエス様の言葉を聞いて、弟子たちは本当に悲しんでいました。
けれども、その悲しみのゆえに、彼らは目を覚まして祈ることができませんでした。そのため、試練が訪れたとき、彼らは大きく失敗しました。(50)
時に、私たちは重荷のゆえにこう言います。「もう祈れない。もう疲れた。あまりにも弱く感じる。」
しかし、まさにその時こそ、私たちは目を覚まし、祈らなければなりません。
イエス様も疲れていました。特に、精神的に疲れ果てていました。それでも、ゲツセマネで、イエス様は目を覚まし、祈られました。そのため、試練が訪れたとき、イエス様は立つことができました。
あなたは疲れていますか。精神的に疲れ果てていませんか。今こそ、目を覚まし、神様に祈る必要があります。
