ドタンで、ヨセフの兄弟たちが彼を捕らえ、イシュマエル人に奴隷として売ったとき、ヨセフは何を考えていたでしょうか。
「神様はどこだろう」と思うのは、自然な反応かもしれません。
不思議なことですが、何百年後、同じドタンの地で、もう一人の人物が似たような思いを抱いていました。
預言者エリシャとそのしもべが敵の軍隊に包囲されたとき、しもべは恐れにとらわれてパニックになりました。でも、エリシャは彼に言いました。
恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから(列王記第二6:16)
そして、エリシャは祈りました。
どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください。(列王記第二6:17)
そして、そのしもべは、神様の軍隊が彼らを守っていることを見ました。神様は彼らを見捨てたわけではありませんでした。神様は最初から、彼らと共におられました。
そのように、神様はヨセフと共におられました。
そして、数千年後、イエス様が「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたとき、神様は実際にイエス様と共におられました。
また、神様がヨセフの兄弟たちの罪を用いて、ヤコブの家族(その兄弟たちを含む)の救いをもたらされたように、神様はユダヤ人たちの罪を用いて、私たちの救いをもたらされました。
だからこそ、あなたがどんな試練に直面しても、心に留めておきましょう。
その試練の中で神様を見ることができないかもしれませんが、神様はあなたと共におられます。そして、神様はあなたの益のために働いてくださいます。(ローマ8:28)
