そういうわけで、肉体を住まいとしていても、肉体を離れていても、私たちが心から願うのは、主に喜ばれることです。
私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。。。
というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。
キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。(コリント人への手紙第二5:9ー10、14ー15)
主よ。私が心から願うのは、あなたに喜ばれることです。私のすべての行為や思いによって、あなたを喜ばせたいのです。
しかし、私は自分の人生を振り返ると、どれほど失敗してきたかが分かります。そして、私は改めて、なぜあなたが十字架で死なれなければならなかったのかを悟ります。けれども、あなたの十字架の御わざによって、私は神の義とされました。
あなたが私を見ると、私の罪や失敗を認めません。むしろ、私はキリストの完全な義に包まれています。
そういうわけで、あなたは私を受け入れます。あなたは私に言われます。「あなたはわたしの愛する子です。わたしはあなたを喜ぶ。」
あなたの愛は素晴らしいものです。
その愛が私の人生を動かしますように。あなたの愛が、私の人生観を形づけますように。また、あなたの愛が、私が周りの人々を見る目を形づけますように。
私が毎日、自分のためではなく、あなたのために生きますように。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
