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出エジプト記のデボーション

私たちの宥めな蓋

出エジプト記25章

今日の箇所では、幕屋に関して、とても具体的な指示がたくさんありますね。

どうして、幕屋のことはそんなに大切なのでしょうか。私たちには、関係あるでしょうか。

ヘブル書の著者は説明します。

この祭司たちは、天にあるものの写しと影に仕えています。

それは、モーセが幕屋を設営しようとしたときに、御告げを受けたとおりのものです。

神は、「よく注意して、山であなたに示された型どおりに、すべてのものを作らなければならない」と言われました。(へブル書8:5)

「天にあるものの写しと影」とは、どういう意味でしょうか。

出エジプト記25章には、いくつかの例がありますが、私の心を打ったのは、22節です。

わたしはそこであなたと会見し、イスラエルの子らに向けてあなたに与える命令を、その「宥めの蓋」の上から、あかしの箱の上の二つのケルビムの間から、ことごとくあなたに語る。(出エジプト記25:22)

そのあかしの箱の中には、十戒が書かれた板が入っていました。(16)

十戒は神の民に神様の聖なるさを思い出させました。また、十戒は、彼らが神様のように聖なる者とならなければならない、ということを思い出させました。

でも、十戒は彼らの罪をも思い出させました。

私たちは自分の聖さによって、神様に近づくことができません。

むしろ、神様は宥めの蓋から私たちに語られます。その場所で、私たちは神様に近づきます。

旧約聖書の時代、一年に一回、宥めの供え物からの血は宥めの蓋の上にかけられました。その血によって、イスラエル人たちは赦されました。(レビ記16章)

でも、今、パウロはこう言います。

神は(イエス)を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。(ローマ3:25)

別訳では、

神は(イエス)を、信仰によって受けるべき、血による宥めの蓋として公に示されました。

イエス様こそが私たちの宥めの蓋です。

イエス様の血によって、私たちは赦されました。

また、その血によって、私たちは神様に近づくことができます。

だから、今日の箇所を読むとき、パウロの言葉を覚えていて、喜びましょう。

すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。

神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めの蓋として公に示されました。(ローマ3:23ー25)

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