多くのクリスチャンたちは、よく疑いをもって、「神様は自分の子供として私を本当に受け入れておられるだろうか」と考えます。
なぜなら、彼らは自分の罪と失敗を見るとき、「いったいどうして、神様は私を受け入れてくださるだろうか」と考えるからです。
でも、パウロは大切な質問を投げかけます。
あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。(ガラテヤ人への手紙3:2)
言い換えると、「どうして、神様はそもそもあなたを受け入れたのですか。なぜ神様は御霊を遣わして、あなたのうちに住まわせたのですか?」
あなたは何とか一年ぐらい完全に律法を守ることができたからでしょうか。1週間ぐらいその律法を守ることができたからでしょうか。一日ぐらいその律法を守ることができたからでしょうか。一時間ぐらいその律法を守ることができたからでしょうか。
違います。
あなたがイエス様とその十字架の働きを信じたからです。
そして、神様は試用期間で私たちを自分の子供として受け入れるのではありません。
ある会社はそのように人々を採用するかもしれません。
でも、神様はそのように自分の子供を養子にされません。
だから、神の子供としての自分のアイデンティティを心に留めておきましょう。
あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子供です。(26節)
