カテゴリー
ヨハネの福音書のデボーション

自分の疑問の解決がもう気にならなくなる日

ヨハネの福音書16章

あなたがたも今は悲しんでいます。しかし、わたしは再びあなたがたに会います。そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。

その日には、あなたがたはわたしに何も尋ねません。(ヨハネの福音書16:22ー23)

今日、私は上のことばに思いを巡らしました。日曜日は父の日でした。だから、いつものように、私は12年前に亡くなった父のことを思い出しました。

私の父は、さまざまな苦しみに直面しました。特に、最後の10年間は、多くの健康問題を抱えていました。

もし父が「どうして」と尋ねたとしても、不思議ではなかったでしょう。でも、実際には決してそうは訊きませんでした。

この世を見渡すと、私はよく「どうして」と問いかけます。

ガンで亡くなった友人もいたし、うつ病で自ら命を絶った親戚もいました。「良い人」(実のところ、私たち皆は罪人です)に悪いことが起こるのを見たこともあります。

だから、私は悲しみを知っています。痛みを知っています。そして、まだ理解できない疑問をたくさん抱えています。

でも、イエス様によれば、イエス様の御顔を見る日が来ます。その日、私は喜びに満たされ、イエス様に何も尋ねることはありません。

なぜでしょうか。もしかすると、その日、私は神様のご計画のすべてを知ることになるからかもしれません。

でも、もしかすると、その日、私はもう自分の疑問の解決を気にしなくなるかもしれません。なぜなら、私の目でイエス様を見るからです。そして、イエス様が私と共におられ、私の悲しみと痛みは洗い去られるからです。

とはいえ、今の時点でも、私は天の父にアクセスすることができます。私の願いを神様に委ねることができます。そして、天の父は私の願いを聞いてくださいます。私を愛してくださるからです。

そして、私の良いパパは知恵をもって、私が求めていることが良いと判断されるなら、それを与えてくださいます。(第一ヨハネ5:14ー15;マタイ6:11)

だから、私はイエス様のことばを固く信じます。

これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。

世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。(ヨハネ16:33)

コメントを残す