イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。(ヨハネの福音書8:31)
その言葉を読んだとき、イエス様は私の心に語りかけられました。
弟子のしるしの一つは、もちろん愛です。(ヨハネ13:34〜35)
しかし、イエス様によれば、もう一つの弟子のしるしは、私たちがただイエス様を信じることだけではなく、そのことばにとどまることです。つまり、私たちはいつもそのことばに心を開き、受け入れ、従うということです。
37節では、イエス様はユダヤ人たちにこう言われました。
わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っています。しかし、あなたがたはわたしを殺そうとしています。わたしのことばが、あなたがたのうちに入っていないからです。
ある英訳には、こう書かれています。
私のことばは、あなたのうちで前進していません。
口語訳も非常に興味深い表現をしています。
わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。
それを読んだとき、神様が私たちにこう問いかけておられるように感じました。「あなたは、私のことばに心を開いているでしょうか。私のことばは、あなたのうちで前進しているでしょうか。」
私たちが神のことばに心を開くと、そのことばによって私たちは変えられます。私たちの考え方も、私たちの行いも変えられます。私たちはイエス様のように考え、生き始めます。神の子どもたちのように考え、生き始めます。
そして、イエス様によれば、私たちが神のことばにとどまり、心を開き、そのことばを信じ、受け入れ、従うなら、その真理は私たちを自由にします。(32節)
あなたはどうでしょうか。あなたは神のことばに心を開いているでしょうか。そのことばは、あなたのうちで前進しているでしょうか。
天のお父さん、あなたのことばは、私のうちでどこまで前進しているでしょうか。時々、私は「どうかなぁ」と思います。
私が、あなたのことばに開かれた心を持つことができますように。
教会のメッセージを聞くとき、聖書を読むとき、兄弟姉妹があなたのことばを分かち合うとき、そのことばが厳しくても、そのことばを聞きたくなくても、私がそのことばを聞き、受け入れ、従うことができますように助けてください。
なぜなら、私はあなたが良い方であることを信じているからです。また、あなたのことばによって、私が自由と喜びを知ることができると信じているからです。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
