最近、教会でダビデとゴリアテについてのメッセージを聞きました。
牧師の一つのポイントは、すべての国が、イスラエルが従っている神を知るように、ダビデは石を投げたということです。(第一サムエル17:40、46)
そして、巧みに投げられた石は、神様が望まれた目的を成し遂げました。その石によって、ゴリアテは倒されただけではなく、イスラエル人たちも、周りの国の人々も、主が神であることを知るようになりました。
今日の箇所を読んだとき、そのメッセージを思い出しました。私が巧みに投げたい石は、神の御ことばです。特に、福音です。
私は、周りの人々に、満足を与えられないものではなく、心の穴を満たすことのできる神を求めるように促したいのです。
彼らに、自分の人生を滅ぼしている罪から悔い改めるように促したいのです。
また、彼らには遅すぎるわけではないという良い知らせを伝えたいのです。なぜなら、神様は、悔い改める者を豊かに赦してくださるからです。
そして、神様が約束しておられるのは、ダビデの石のように、神のことばがご自分のもとに空しく帰ることはなく、神様が望まれることを成し遂げるということです。
天のお父さん、私の周りの人々があなたを知り、また、永遠のいのちを知るために、私があなたのことばをよく知り、巧みに用いることができるようにしてください。
