しかし、母の胎にあるときから私を選び出し、恵みをもって召してくださった神が、 異邦人の間に御子の福音を伝えるため、御子を私のうちに(喜んで啓示してくださったとき)。。。(ガラテヤ人への手紙1:15〜16、新改訳とその脚注による)
「神がその御子を、私のうちに喜んで啓示してくださったとき。。。」
それは、なんと驚くべきことばでしょう。
いったい、なぜ神様が、その御子を私のうちに啓示してくださるのでしょうか。
おそらく、パウロもそのように自問自答したのではないでしょうか。
彼はかつて、冒瀆する者、迫害する者、暴力をふるう者でした(第一テモテ1:13)。
異邦人に御子を啓示するために、神様はもっとふさわしい人を選ぶこともできたはずです。
それでも、神様はパウロを選ばれました。
しかも、ただ選ばれただけでなく、喜んでパウロを選ばれたのです。
このことばを読むと、私は希望を抱かずにはいられません。
神様は、この世にご自身を啓示するために、私たちすべてを神殿とし、また祭司として召しておられるのです。
しかし、自分自身を振り返ると、私の中にはさまざまな過ちや、目立つひびのある壁が見えるのです。あなたも、そう感じるときがあるのではないでしょうか。
ご自身を啓示するために、神様はきっと、私たちよりももっとふさわしい人を、神殿や祭司として選ぶこともおできになるでしょう。
それでも、神様は私たちを、いやいやながらではなく、喜んで選び、御子を私たちのうちに啓示してくださいます。
それがなんと不思議な恵みでしょう。
