すると、あなたは私にこう言うでしょう。「それではなぜ、神はなおも人を責められるのですか。だれが神の意図に逆らえるのですか。」(ローマ人への手紙9:19)
「だれが神の意図に逆らえるのですか。」
今朝、この箇所を読んだとき、私に思い浮かんだのは、この問いが、ある意味で本当に皮肉なものだということです。
だれが神の意図に逆らえるのですか。実際には、私たちは皆、神様の意図に逆らったのです。だからこそ、この世も、そして私たちの人生もめちゃくちゃになったのです。
自分の意思で神様を求めようと願い、努力する人はだれもいません。
もし神様を求めている人が存在するなら、それは神様がまず私たちにあわれんでくださったからです。
神様は、もともとご自身に対して柔らかい心を持っていた人を頑なにされるのではありません。
私たちの心は、すでに頑ななものだったのです。
驚くべきことは、神様が人々を選び、あわれんでくださったことです。神様はすべての人を滅ぼすことを選ぶこともできたからです。
しかし、なぜか、かつて神様に逆らっていた私たちの多くを、神様はあわれむことを選ばれました。
ヤコブが神様に逆らっていたにもかかわらず、神様はあわれんでくださいました。
ユダヤ人たちが神様に逆らっていたにもかかわらず、神様はあわれんでくださいました。
そして、私たち自身が神様に逆らっていたのに、神様はあわれんでくださいました。
そのことを思うとき、本当に不思議に思います。
それこそが驚くべき恵みです。
