どうか、忍耐と励ましの神があなたがたに、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを抱かせてくださいますように。
そうして、あなたがたが心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父である神をほめたたえますように。(ローマ人への手紙15:5~6)
どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。(ローマ人への手紙15:13)
どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。(ローマ人への手紙15:33)
最近、私は、人々を祝福することについて考えています。
この箇所には、ローマのクリスチャンたちに対するパウロによる三つの祝福があります。
パウロは、「神様、彼らが互いに同じ思いを抱くことができるようにしてください。彼らを平安と喜びで満たしてください。彼らとともにいてください」と言うのではありません。
むしろ、彼は「神様があなたがたにそれらのことをしてくださいますように」と言います。
人のために祈ることと人を祝福することとは、違いがあるでしょうか。私はそう思います。
私たちが彼らのために祈るとき、私たちは直接に神様に話し、神様に恵みを願い求めています。
しかし、人を祝福するとき、私たちは神様にというより、相手に語りかけています。その一つの理由は、その人を励ますためです。その祝福によって、私たちがその人を愛し、その最善を望むことを表します。
そうは言っても、私たちはただ、「すべてがうまくいくといいね」と言うわけではありません。
また、ただ、「あなたのために祈っています」と言うことでもありません。
むしろ、私たちの思いを神様の思いに合わせ、彼らに神様のみ心を語っているのです。
だからこそ、祈るときよりも、祝福するとき、私たちは何を言っているか考えるべきです。
祈るとき、私たちは自由に、何についてでも祈ってもいいのです。もし天の父がその願いを良いものだと思われるなら、ご自身のタイミングで叶えてくださいます。
しかし、人を祝福するとき、私たちは神様の代表者、つまり、神様の祭司として語っています。だから、ただ自分の願いを言うのではなく、神様が与えてくださることばを語るべきです。
私たちの思いが神様の思いに一致すればするほど、その祝福には力があります。一方で、私たちの思いが神様の思いに一致していなければ、その祝福にはそれだけ力がないのです。
そうはいっても、パウロのように人を祝福することをためらわないようにしましょう。私たちは神様のみ心が何であるかを間違えることを恐れる必要はありません。失敗しても、私たちは恵みによって歩んでいるのです。
だから、神様の祭司として、私たちの妻や夫、子どもたち、友だちなどを祝福することを練習しましょう。
あなたを祝福させてください。
どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。(ローマ人への手紙15:13)
