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マタイの福音書のデボーション

真の安息日の礼拝

マタイの福音書12章

多くのクリスチャンにとって、安息日は日曜日です。

しかし、私たちは、その日に神様が本当に望んでおられることは何か、考えているでしょうか。

それは、ただ教会に行くだけではありません。また、礼拝とは、単に賛美したり、メッセージを聞いたり、献金をささげたりすることだけではありません。

イエス様はパリサイ人たちにこう言われました。

わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。
(マタイの福音書12:7)

もちろん、イエス様は神様がいけにえを望んでおられないと言われたのではありません。神様ご自身が、そのいけにえを命じられたのです。しかし、神様は私たちの宗教的な儀式や行為だけを望んでおられるわけではありません。

神様が望んでおられるのは、私たちが人々をあわれむことです。

私たちは教会に行くとき、「今日、私は誰をあわれむことができるだろうか」と考えることがどれほどあるでしょうか。

私たちの教会には、疲れた人や重荷を負っている人がいます。(マタイの福音書11:28)

羊飼いのない羊のように弱り果て、倒れている人もいます。(マタイの福音書9:36)

私たちはイエス様のように、そのような人たちをかわいそうに思うでしょうか。私たちはイエス様のように、そのような人たちをあわれむでしょうか。

イエス様を安息日の主として仰ぎましょう。

教会に行くときは、ただ賛美したり、メッセージを聞いたり、献金をささげたりするだけではなく、「今日は誰をあわれむことができるだろうか」と考えましょう。

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