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エズラ2

この世のものと結婚する

この箇所は少し難しいです。なぜなら、神様は離婚を嫌うと言われる一方で、エズラは異邦人と結婚した男性たちに、その妻と別れるように命じ、その子供たちも追い出すように指示したからです。

どうしてエズラはそのようなことをしたのでしょうか。

一番重要な理由は、神様の律法によれば、その結婚が違法だったということです。神様はイスラエル人にはっきりと「カナン人と結婚してはならない」と命じられました。(出エジプト記34:15-16;申命記7:1-6)

では、どうして神様はその命令を与えられたのでしょうか。それは、神様がイスラエル人がカナン人の酷い行動を模倣することを望まれなかったからです。例えば、売春や子供をいけにえにすることなどが含まれます。

だから、神様の目にはその結婚は違法でした。

預言者マラキもこのことについて語りました。マラキがこれを書いた時期は不明ですが、おそらくエズラとネヘミヤの時代に記されたと考えられます。

マラキ書の中で、神様はこう言われました。

ユダは裏切り、イスラエルとエルサレムの中では忌まわしいことが行なわれている。

まことにユダは、主の愛された主の聖所を汚し、外国の神の娘をめとった。(マラキ2:11)

マラキはすぐに妻と離婚した男性たちを批判しました。

どうしてでしょうか。おそらく、その男性たちは外国の女性と結婚するために、自分のユダヤ人の妻と離婚したからです。その結果、神様の目には、その「結婚」は姦淫となり、本当に違法なものとなりました。

さらに、偶像礼拝している女性との結婚を通して、ユダヤ人はバビロンに追放される以前に犯していた罪を繰り返し始めてしまいました。(エズラ記9:1-2)

そのため、エズラはそのニュースを聞くと深く悲しみ、イスラエル人のために悔い改めの祈りを捧げました。彼はこう祈りました。

「私たちの悪い行ないと、大きな罪過のために、これらすべてのことが私たちの上に起こって後、――事実、私たちの神、あなたは、私たちの咎の受けるべき刑罰よりも軽く罰し、このようにのがれた者を私たちに残してくださいました――私たちは再び、あなたの命令を破って、忌みきらうべき行ないをするこれらの民と互いに縁を結んでよいのでしょうか。

あなたは私たちを怒り、ついには私たちを絶ち滅ぼし、生き残った者も、のがれた者もいないようにされるのではないでしょうか。

イスラエルの神、主。あなたは正しい方です。まことに、今日あるように、私たちは、のがれた者として残されています。

ご覧ください。私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに。」(エズラ記9:13-15)

そのあとで、10章では、エズラはイスラエル人にその罪を清めるよう命じました。偶像礼拝をしている女性と結婚した男性たちは、その妻と子供を追い出さなければなりませんでした。

10章には、本当に印象的なシーンがあります。イスラエル人は大雨の中に座り、その罪のために泣いて悔い改めました。

この箇所から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

たとえあなたがノン・クリスチャンと結婚しているとしても、私は「離婚しなさい」と言うわけではありません。なぜなら、私たちはモーセの律法の下に生きているのではなく、恵みの契約の下に生きているからです。

さらに、パウロはこう教えました。

信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。

また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。(第一コリント7:12-13)

むしろ、私たちは彼らの救いのために祈るべきです。彼らと結婚している間、神様は彼らの人生に働いて、救いの可能性を与えてくださるかもしれません。とはいえ、彼らの救いが約束されているわけではありません。(第一コリント7:14-16)

しかし、私たちは一つの原則を覚えておかなければなりません。それは、私たちがこの世の物と「結婚」すると、その物が私たちを神様から引き離してしまうということです。

時々、その外国の女性たちのように、その物は美しいかもしれません。けれども、その物に引っ付くと、私たちの心は神様から引き離されてしまいます。

お金と「結婚」する人もいます。彼らにとって、お金が一番大切なものです。

持ち物と「結婚」する人もいます。

力と「結婚」する人もいます。

もちろん、ノン・クリスチャンと結婚したい人もいます。だから、彼らは神様との関係を一時的に置いておいて、そのロマンチックな関係を求めます。

けれども、それは霊的な姦淫です。その行動によって、私たちは神様に「この物はあなたよりも大切だ」と言っているのです。

あなたはどうでしょうか。この世のものを愛しているでしょうか。その「結婚」は、あなたの神様との関係にどんな影響を与えているでしょうか。

そのようなものを、私たちの人生から追い出しましょう。

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エズラ2

神様の恵みの御手

今日、エズラ記に戻ります。アハシュエロス王は亡くなり(彼は側近に殺されました)、その息子アルタシャスタが王になりました。

その時、ペルシャに住んでいる祭司エズラは、ユダヤ人に神様の言葉を教えるためにエルサレムに帰ることを決心しました。

エズラ記7-8章では、何度も繰り返されるフレーズがあります。それは、「神様の御手」、または「神の恵みの御手」という表現です。

主の御手がエズラの上にあったので、王はエズラの願いをすべてかなえてくださいました。つまり、いけにえの捧げものを買うために銀と金を与え、小麦、ぶどう酒、油、塩を提供してくれたのです。(エズラ記7:6-20)

主の恵みの手によって、シェレベヤともう二人の人が来ました。そして彼らは他の人々を主の宮で仕えるために連れて行きました。(エズラ記8:18-20)

神の御手が彼らの上にあり、その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から彼らを救い出してくださいました。だから彼らは無事にエルサレムに到着しました。(エズラ記8:31)

どうして神様の恵みの手が彼らの上にあったのでしょうか。エズラはアルタシャスタにこう言いました。

私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、その力と怒りとは、神を捨てるすべての者の上に下る。(エズラ記8:22)

エズラは心から神様を求めました。彼は真剣に神様の言葉を学び、すべての人が神様の言葉を知るようにと願いました。だから、神様は彼を祝福されました。

あなたはどうでしょうか。あなたの人生の上に神様の御手が見えるでしょうか。もし見えないなら、その理由は何でしょうか。

あなたは心から神様を求めているでしょうか。あなたの人生の中心に神様がいらっしゃるでしょうか。朝起きた時、神様について考え、寝る前にも神様について思い巡らせるでしょうか。神様の働きと御言葉に専念しているでしょうか。

もしそうなら、神様は人々に触れるためにあなたの内に働き、あなたを通して働かれます。

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エズラ2

私たちが神様に専念すると

イスラエル人は長い間主の宮の再建に専念しませんでした。しかし、ゼカリヤとハガイの励ましによって、彼らはもう一度再建を始めました。

ところが、再建を始めると、再び反対が来ました。総督タテナイとシェタル・ボズナイ(おそらく彼は調査官のような役割の人物でした)は、ユダヤ人に尋ねました。

だれがあなたがたに命令を下して、この宮を建て、この城壁を修復させようとしたのか。。。この建物を建てている者たちの名は何というのか。(エズラ記5:3-4)

彼らがユダヤ人の答えを聞いた後、ダリヨス王に手紙を送りました。

その結果はどうだったでしょうか?ダリヨス王はクロス王の命令を見つけました。つまり、クロス王はユダヤ人が主の宮を再建することを許しました。だから、ダリヨスはタテナイとシェタル・ボズナイにこう命じました。

この神の宮の工事をそのままやらせておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ人の長老たちにこの神の宮をもとの所に建てさせよ。(6:7)

それだけでなく、ダリヨス王の命令によって、タテナイとシェタル・ボズナイはその再建のために費用を負担しなければならなかったし、宮の捧げ物のためにさまざまなものをユダヤ人に与えなければなりませんでした。

神様がそのように働かれたことは、素晴らしいと思います。ユダヤ人に反対した人々は、結局ユダヤ人を手伝わなければなりませんでした。

さらに、この話からもう一つのことを学ぶことができます。

もし神様がご自身の仕事をするために私たちを呼び、私たちがその仕事に専念するなら、その仕事を完成するために神様は私たちのすべての必要を与えてくださいます。

そして、もし反対する人々が来るなら、神様はその状況の中で働かれ、その仕事は必ず完成されます。

だから、私たちは自分自身に一つの質問をするべきです。

「私は神様の仕事にどれほど専念しているのだろうか。」

私たちの状況が大変になったら、私たちはすぐに諦めるでしょうか。それとも、お金や持ち物や私たちの欲望を求めるために、神様の仕事を忘れるでしょうか。

神様は素晴らしいプランを持っておられ、私たちがそのプランに参加するように呼んでおられます。あなたはどれぐらいそのプランに対して応え、専念しているでしょうか。