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エレミヤ45ー 列王記第二

恵み

今日、エレミヤ書と列王記を終えます。

この話はエホヤキン王についてです。彼はユダの最後から二番目の王でした。彼はわずか3か月間だけユダを治めました。その後、彼はネブカデネザルによってバビロンに追放されました。

けれども、それでエホヤキンの話が終わったわけではありません。

ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十五日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が即位した年のうちに、ユダの王エホヤキンを釈放し、獄屋から出し、彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。

彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。

彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されていた。(エレミヤ書52:31-34)

どうして、神様は私たちにこの話を伝えられたのでしょうか。どうして、突然バビロンの王はエホヤキンに親切にしたのでしょうか。

聖書では、その理由が全く書かれていません。

しかし、ユダヤ教の伝承によれば、エホヤキンはバビロンで悔い改めたので、神様はネブカデネザルの息子(エビル・メロダク)の心に働きかけ、彼がエホヤキンに親切にし始めました。

その伝承が本当かどうかは分かりません。けれども、おそらくこの話は神様の恵みの象徴です。この話を読むと、私は神様が私たちのために何をしてくださったかを思い出します。

エホヤキンはバビロンの王のために何もしていなかったのに、その王は彼を解放し、親切な言葉をかけ、新しい衣を与え、共に食事をし、彼の位を高めました。

神様は私たちのために同じことをしてくださいました。

私たちが神様のために何もしていなかったのに、神様の恵みとあわれみによって、神様は私たちを救ってくださいました。

神様は私たちの罪を赦し、罪と死の鎖を解き、私たちに親切な言葉をかけ、キリストの義を着せてくださいました。

そして、いつの日か私たちは神様の食卓で共に食事をし、栄光の冠をいただくでしょう。

それが恵みです。

興味深いのは、第12の月の25日にエホヤキンの許しが公表されたということです。(おそらくわずか2日後に彼は牢から解放されました。(列王記第二25:27))

私は真剣に言っているわけではありませんが、神様は将来の出来事を知っておられ、人々がイエス様の誕生を12月25日に祝うことを知っておられました。

そのため、エホヤキンの赦しは、私たちの赦しの象徴であるとも言えるかもしれません。

メリークリスマス、エホヤキン!

…多分そうではありません。それを無視してください。

とにかく、大切なのは、私たちが受けたすべての祝福は、ただ神様の恵みによるものだということです。

それを心に留めておきましょう。

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エレミヤ45ー

逃げろ

前の箇所では、神様はたくさんの国々を裁いておられました。

この箇所では、神様はその国々を征服したバビロンを裁かれます。つまり、神様は北からの国々であるメディヤとペルシアがバビロンを攻撃し、バビロンが倒れると言われました。

しかし、その裁きの宣言の中で、神様はイスラエル人にこう言われました。「逃げろ。」

何度も、神様はこのようなことを言われました。

バビロンの中から逃げ、カルデヤ人の国から出よ。(エレミヤ書50:8)

また、

バビロンの中から逃げ、それぞれ自分のいのちを救え。(エレミヤ書51:6)

また、

わたしの民よ。その中から出よ。主の燃える怒りを免れて、おのおの自分のいのちを救え。(エレミヤ書51:45)

その命令は、29章の命令とは全然違います。29章で、神様はイスラエル人にこう言われました。

[バビロンで]家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。妻をめとって、息子、娘を生み。。。

その町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。」(エレミヤ29:5ー7)

どうして神様はその命令を変えられたのでしょうか。それは、メディヤとペルシアが来たとき、バビロンの裁きが近づいていたからです。だから、神様はイスラエル人たちに「逃げろ」と命じられたのです。

そのように、私たちはこの世に楽すぎて生きないほうがいいのです。むしろ、私たちは神様に対して柔らかい心を保つべきです。神様がこの世において私たちの希望であることを思い出すべきです。(50:7)

また、神様が私たちの創造者であることを覚えているべきです。神様がすべてをご自身の力と知恵によって造られたことを思い出すべきです。(51:15-16)

さらに、この世に生きる人々のために、裁きの日が近づいていることを覚えているべきです。(51:6、56)

だから、罪の人生を捨てましょう。悪に留まらないでください。むしろ、

遠くから主を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ。(エレミヤ書51:50)

将来、私たちは新しいエルサレムに住みます。(黙示録21章1-2)

だから、パウロが言ったように、

こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。

あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。

私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。(コロサイ3:1ー4)

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エレミヤ45ー オバデヤ書

裁きの理由

なぜ私はエレミヤ書とオバデヤ書の箇所を混ぜているのでしょうか。それは、オバデヤ書を読むと、このエレミヤ書の箇所に似ているからです。

例えば、エレミヤとオバデヤは同じ表現とイメージを使っています。だから、多分オバデヤはエレミヤの言葉を知っていたかもしれません。また、エレミヤはオバデヤの言葉を知っていたかもしれません。

一人の聖書の著者が別の聖書の著者を引用することは珍しいことではありませんでした。

あるいは、神様はオバデヤにこう言われたのかもしれません。「エレミヤの言葉を覚えていますか。彼が言ったことをもう一度書きなさい。」(逆の可能性もあります。)

または、彼らがお互いの預言を知らなかったけれど、神様は彼らに同じメッセージを伝えられたのかもしれません。それも珍しいことではありません。

とにかく、神様はユダの周りの国々を裁いておられます。おそらく、エレミヤ書27ー29章の出来事が起こったとき、この預言が書かれたのでしょう。27ー29章では、エレミヤはその同じ国々に対してネブカデネザルに降伏するよう警告しました。

どうして神様はその国々を裁かれたのでしょうか。神様は3つの理由を示されました。

1.偽物の神を礼拝すること。例えば、モアブ人の神はケモシュでした。またアモン人の神はモレクでした。すべての国々は真の神に背を向けて、自分の神々を礼拝しました。

2.プライドのこと。神様はモアブについてこう言われました。

おまえは自分の作った物や財宝に拠り頼んだので、おまえまで捕らえられ[る]。。。

私たちはモアブの高ぶりを聞いた。実に高慢だ。その高慢、その高ぶり、その誇り、その心の高ぶりを。「わたしは、彼の高ぶりを知っている。――主の御告げ――

その自慢話は正しくない。その行ないも正しくない。」(エレミヤ書48:7、29ー30)

アモンについて神様はこう言われました。

裏切り娘よ。あなたの谷には水が流れているからといって、なぜ、その多くの谷を誇るのか。あなたは自分の財宝に拠り頼んで、言う。「だれが、私のところに来よう。」(エレミヤ書49:4)

神様はエドムにこう言われました。

あなたの心は高慢だ。あなたが鷲のように巣を高くしても、わたしは、そこから引き降ろす。(エレミヤ書49:16)

そして、神様がケダルとハツォルという国について話されたとき、神様はネブカデネザルに命じられました。

さあ、安心して住んでいるのんきな国に攻め上れ。――主の御告げ。。。(エレミヤ書49:30-31)

3.その国々は、憐れみと情けを全然知らなかったこと。イスラエルが倒れたとき、モアブ人はイスラエル人をからかいました(エレミヤ書48:27)。

また、アモン人は追放されたイスラエル人の土地を奪いました(エレミヤ書49:1)。

そして、エドム人はイスラエル人の「兄弟」なのに、イスラエルが攻撃されたとき、エドムは全然助けませんでした。むしろ、イスラエルが倒れたとき、エドム人たちは喜んでいました。(オバデヤ12-13)

(エドムはエサウの子孫でした。イスラエル人はエサウの弟ヤコブの子孫でした。)

偶像礼拝。プライド。情けと憐れみのない心。あなたはそのような罪を犯すでしょうか。

仏壇を拝むでしょうか。もしくは、すべてのことよりもお金を大事にするでしょうか。あなたが一番大事にするものは、あなたの神です。

プライドはどうでしょうか。あなたは何に信頼するでしょうか。自分自身を信頼するでしょうか。それとも神様を信頼するでしょうか。

ナルニア国物語の著者C・S・ルイスはこう言いました。

「プライドは一番悪い罪です。ほかの罪よりも、プライドは私たちを神様から遠ざけるからです。なぜなら、プライドによって、私たちは神様がいらないと思うからです。そのプライドによって、私たちは神様に背を向けます。」

あなたには情け深くて、憐れみ深い心があるでしょうか。パリサイ人と律法学者にはそのような心がありませんでしたので、イエス様は彼らを厳しく批判されました。イエス様はこう言われました。「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。」

パリサイ人と律法学者は神様を愛していると言いましたが、周りの人々を愛していませんでした。

あなたはどうでしょうか。あなたの周りの人々を愛しているでしょうか。それとも自分自身のことだけを考えるでしょうか。

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エレミヤ45ー

裁きと懲らしめ

エレミヤはこの箇所を書いた時、ネブカデネザルは周りの国々を脅していました。彼はユダを脅しましたし、エジプトも脅しました。

この箇所では、神様はエジプト人とペリシテ人への裁きについて話しておられます。神様は、エジプトを通してペリシテは倒れるが、バビロンを通してエジプトは倒れると言われました。

神様は国々を裁くために、そのようなパターンをよく用いられます。

けれども、その裁きのメッセージの間に、神様はユダにこう言われました。

わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。イスラエルよ。おののくな。見よ。わたしが、あなたを遠くから、あなたの子孫を捕囚の地から、救うからだ。

ヤコブは帰って来て、平穏に安らかに生き、おびえさせる者はだれもいない。わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。――主の御告げ――

わたしがあなたとともにいるからだ。わた しは、あなたを追いやった先のすべての国々を滅ぼし尽くすからだ。わたしはあなたを滅ぼし尽くさない。

公義によって、あなたを懲らしめ、あなたを罰せずに おくことは決してないが。(エレミヤ書46:27ー28)

この箇所では、私は、神様がご自身の者と他の人々を区別されることに気づきます。

神様の者でなければ、裁きが来ます。そして、その裁きは確かなものです。

しかし、神様はご自身の者を決して捨てられません。神様は私たちを懲らしめられるかもしれませんが、時にはその懲らしめが非常に厳しいこともあります。

それでも、神様はいつも私たちの悔い改めのために働いておられます。そして、私たちがどんなに失敗しても、神様は私たちと共におられることを約束されます。

あなたの罪のため、神様があなたを罰していると思うかもしれません。また、神様があなたをもう諦めたと思うかもしれません。

しかし、イエス様があなたの主であるならば、あなたは神様の子です。そして、神様はあなたにこう言われます。

わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。(へブル13:5)

だから、

主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。。。

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(へブル12:5ー6,10ー11)

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エレミヤ45ー

一時的なものを求める、永遠のものを求めること

エレミヤの書記バルクは自己憐憫に浸っていました。バルクはエホヤキム王にエレミヤの言葉を伝えましたが、エホヤキム王はその巻物を切り裂き、焼き尽くしてしまいました。

そのため、バルクは本当に落ち込んでいました。彼は言いました。

ああ、哀れなこの私。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、いこいもない。(エレミヤ書45:3)

つまり、「どうして私はこんな仕事をしているのだろうか。エレミヤと主に仕えていますが、どんな報いを受けているのでしょうか。私は彼らに従いますが、いつも私はトラブルに巻き込まれることになってしまいます。

他の仕事を選んだ方がよかったのかもしれません。私はもっとお金をもらえる仕事をした方がいいのでしょうか。どうして私は、このようなことで時間を無駄にしているのでしょう。」

しかし、神様はこう答えられました。

見よ。わたしは自分が建てた物を自分でこわし、わたしが植えた物を自分で引き抜く。この全土をそうする。

あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。

見よ。わたしがすべての肉なる者に、わざわいを下すからだ。――主の御告げ――

しかし、わたしは、あなたの行くどんな所ででも、あなたのいのちを分捕り物としてあなたに与える。(4-5)

神様は何を言われているのでしょうか。この世は一時的なものだということです。いつか、私たちが見えるものは全てなくなります。

だから、この一時的な世のものを求めないでください。むしろ、神様と神の国を求めてください。そうすれば、他の人々が滅びるかもしれませんが、あなたは本当の命を見つけるでしょう。

あなたが正しいことをすると、時々失望することがあるでしょうか。神様に仕えることは時間の無駄遣いだと思われるでしょうか。この世のものを求めた方が良いと思われるでしょうか。

一時的なものを求めないでください。永遠のものを求めてください。そうすれば、本当の命と報いを見つけるでしょう。

だからこそ、パウロはこう言いました。

善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。(ガラテヤ6:9)