ゼカリヤ書の最後では、私たちはイエス様がこの世に戻られる様子を見ることができます。また、イエス様がこの世を治める1000年の時代についても描かれています。
将来、周辺の国々がエルサレムを攻撃し、エルサレムの民の半分が追放されることが起こります。けれども、その時、イエス様はすぐに戻られるのです。
その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。
オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。(ゼカリヤ書14:4)
その時、世の光は無くなりますが、神様はご自身の栄光でこの世を照らされます。夜になっても、光があります。(6-7)
ヨハネはこう書きました。
都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。(黙示録21:23)
それだけではなく、エルサレムから湧き水が流れ出ます。おそらく、エゼキエル47:3-11も同じことについて言及しています。
神様はイスラエルのために戦い、その敵に災害を送られます。12節を読むと、神様が国々の核兵器を彼ら自身に向けて使われるのではないかと考えます。そうかもしれませんが、はっきりとは分かりません。
それでも、その患難の後、世のすべての人々は神様を王として認め、神様の正義と恵みを喜びます。
かつて、ユダヤ人たちは仮庵の祭りを祝いました。その時、彼らは神様に感謝を捧げました。なぜなら、神様は彼らをエジプトの奴隷生活から救い出し、砂漠を越える間、守ってくださったからです。
同じように、私たちも神様を賛美します。なぜなら、神様は私たちをサタンの国の奴隷生活から救い出し、私たちの試練を通して導き、守ってくださったからです。
しかし、悔い改めない人々には裁きが待っています。
ここから、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
1. 神様は勝利を与えてくださるお方です。
サタンは神様に逆らい、私たちを攻撃しますが、最終的に勝利を収めるのは神様です。実際、神様はすでに勝利しておられます。イエス様が十字架で死なれた時、神様は勝利されました。
とはいえ、サタンはその勝利を認めたくありません。それでも、どんな試練に遭っても、私たちは勝利を得ることを確信できます。それだけではなく、私たちは罪と死に対しても勝利を得るのです。
パウロはこう書きました。
しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。(第一コリント15:57)
2.神様は命を与えてくださるお方です。
エルサレムから水が流れて、死海を魚が生きる場所に変えるように、聖霊様は私たちの人生に流れ込み、命を与えてくださいます。
しかし、神様から離れている人は命を離れ、惨めな人生を送ることになります。
3.神様は光を与えてくださるお方です。
私たちの人生が暗く、希望が見えない時、神様は私たちに光を照らし、希望を与えてくださいます。また、私たちが迷い、どの道を進むべきか分からない時、神様は正しい道に光を当ててくださいます。
主よ。あなたが私たちに勝利と命と光を与えてくださり、感謝します。どうか毎日、私たちがあなたにすがりつき、聖なる人として歩めるよう助けてください。
そして、毎日、私たちがあなたの目的のために生きることができますように。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
