カテゴリー
ダニエル書3

思慮深い人

多くの人々にとって、特に聖書を信じない人々にとって、この箇所は最も信じがたい部分かもしれません。それは、この預言が非常に具体的であり、すべてが成就されたからです。つまり、ダニエルはペルシャ帝国とギリシャ帝国の将来について語っています。

まず、クロス王の後に続く3人のペルシャの王について言及します。それはカンビュセス2世、ガウマタ、そしてダリヨスです(ここでのダリヨスはダニエル書のダリヨスではなく、エズラ記6章に出てくるダリヨスです)。

ダリヨスの息子はアハシュエロス(クセルクセス1世)であり、エズラ記とエステル記に登場するアハシュエロスです。

アハシュエロスは他のペルシャの王よりも裕福でした。その理由は、莫大な税金を徴収し、多くの国を征服したからです。彼はギリシャを攻撃し、最初は成功を収めましたが、最終的にはその海軍が敗北を喫しました。

その後、彼の軍隊もプラタイアの戦いで敗北を喫しました。(ダニエル書11:2)

その後、ギリシャでアレクサンダー大王(つまり、アレクサンドロス3世)が王となりました。けれども、彼の死後、その帝国は4つに分割されました。ただし、アレクサンダーの子孫が支配していたわけではありません。むしろ、アレクサンダーの4人の将軍がそれらを治めました。(ダニエル書11:3-4)

さらにダニエルは具体的に、ギリシャで何が起こるかを預言します。彼はプトレマイオス1世とアンティオコス2世の時代から、プトレマイオス12世とアンティオコス4世の時代まで預言しています。(ダニエル書11:5-34)

歴史的な本を読めば、その預言がどのように成就されたかがよく分かるでしょう。あるいは、ウィキペディアにも関連した情報があるかもしれません。

いずれにせよ、ダニエル書11:36から最後までは、ダニエルが終わりの日と反キリストについて預言している箇所です。反キリストは他の神々を礼拝せず、「すべてにまさって自分を大きいものとする」とあります。(ダニエル書11:37)

おそらく、彼は「私は神である」と主張するのかもしれません。

また、彼は「砦の神」を崇めると記されています。つまり、力の神、あるいは戦争の神を崇めることを意味しています。この反キリストは力を好み、戦争を始める者であることを示唆しています。そして、イエス様が再臨されるまで反キリストは支配を続けます。

その時代には多くの困難が起こりますが、神様はご自身の民を救い出し、終わりの日の復活の時に、神様を愛する者は復活して永遠に生きます。

しかし、神様を憎み逆らう者はそしりと永遠の忌みを受けることになります。(ダニエル書12:1-3)

私たちは何を学ぶべきでしょうか。

ダニエル書11:33-35では、アンティオコス4世とマカバイ戦争について言及されています。その時、ユダヤ人は迫害されましたが、ダニエルはそのユダヤ人について次のように記しています。

民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。

彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。彼らが倒れるとき、彼らへの助けは少ないが、多くの人は、巧言を使って思慮深い人につく。

思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。(ダニエル書11:33-35)

神様はご自身の民が決して苦しまないとは約束されませんでした。むしろ、思慮深い人たちが周囲の人々に神様の方法を教えるために、「彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる」と記されています。

しかし、その苦しみの中には、神様のご計画があります。つまり、その試練を通して、「彼らを練り、清め、白くする」とされています。

そして、12章によれば、彼らは苦難の時代から救い出され、復活します。その時、

思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。(12:3)

そして、ダニエルはこう書きました。

多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行ない、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。(12:10)

そして、天使はダニエルにこう言いました。

あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。(13)

この箇所を読むと、希望に満たされます。たしかに、戦争は起こり、将来には様々な困難や試練が訪れます。

けれども、それらを通して、神様は私たちを清め、白くし、練り上げてくださいます。そして、終わりの日の復活において、私たちを救い出してくださった神様の御前で、私たちは星のように輝くのです。

だからこそ、私たちは思慮深い人になるよう努めましょう。毎日神様を求め、周囲の人々を神様のもとへ導きましょう。

そうすれば、ダニエルのように、私たちは休みを得た後に復活し、自分の割り当てられた地に立つことができるでしょう。

カテゴリー
ダニエル書3

戦い

私が高校生だった頃、天使と悪魔について描かれたフィクションの本を読んだことがあります。その時、私は目に見えない霊的な戦いについて深く考え、祈りの重要性を実感するようになりました。

おそらく、その著者がその作品を書いた時、この箇所を思い浮かべていたのかもしれません。なぜなら、聖書のこの箇所で初めて、霊的な戦いについて明確に描かれているからです。

この箇所の冒頭には、ダニエルが3週間の喪に服していたと記されています。彼が何に悩んでいたのかははっきりしません。

もしかすると、彼はエルサレム再建にまつわる問題を聞いて心を痛めていたのかもしれません。

または、ユダヤ人が神様を敬うことを忘れ、自分のことだけを考えているという話を聞いていたのかもしれません。(預言者ハガイが彼らのその態度を批判しています。)

いずれにせよ、ダニエルは断食し、神様の御心を求めていました。けれども、約3週間もの間、ダニエルは何の答えも受け取ることがありませんでした。

私たちも同じように感じることがあるのではないでしょうか。困難に直面し、神様の御心を求めても、神様が私たちを無視しているように思えることがあります。

しかし、本当に神様はダニエルを無視していたのでしょうか。違います。ある日、天使が現れました。そして、彼はダニエルにこう言いました。

恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。

ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき[た]。(ダニエル書10:12-13)

その天使は、ダニエルを強め、そのメッセージを聞く準備を整えさせてから、こう言いました。

私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ペルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。

しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。(20-21)

私たちは何を学ぶことができるでしょうか。この世の問題に直面するとき、私たちは時折、神様が沈黙しているように感じることがあります。けれども、私たちの目には見えない多くのことが存在しています。それは、霊的な戦いです。

パウロは次のように書きました。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ6:12)

時折、私たちクリスチャンは周りの人々と戦っていると感じることがありますが、実際には霊的な力と戦っているのです。その力と戦うためには、霊的な武具が必要です。(エペソ書6:13ー17)

ここでは、この武具について詳しく説明しませんが、一つ重要なポイントを覚えておいてください。その武具はあなたの体の前を守るためのものです。後ろを守る武具は存在しません。

どうしてでしょうか。それは、私たちが逃げることなく、前進し続けることを求められているからです。

しかし、その武具だけでは十分ではありません。私たちは祈らなくてはなりません。

パウロはこう書きました。

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。

そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。(エペソ6:18)

私たちは一人では戦えませんし、自分だけの力では太刀打ちできません。私たちには、聖霊様が私たちのために戦ってくださることが必要です。

ですから、自分自身のためだけでなく、キリストにある兄弟姉妹たちのためにも祈ってください。牧師のために祈りましょう。苦しんでいる兄弟姉妹たちのために祈りましょう。

ひとりよがりになることを避けましょう。サタンはほえたける獅子のように私たちを狙っているので、目を覚ましていましょう。そして、神様の命令に従い、祈りを欠かさずに行いましょう。また、信仰の戦いを勇敢に戦いましょう。

カテゴリー
ダニエル書3

メシヤが来られること、反キリストが来ること

この箇所は、本当に素晴らしい預言です。

以前、私は他のダニエル書の預言について話しました。つまり、バビロン帝国、ペルシャ帝国、ギリシャ帝国、そしてローマ帝国についての預言です。

多くの人々はその預言を見ても信じません。彼らは、「その預言はきっと本物ではない。その出来事が起こった後に、誰かがダニエルの名前を使ってこの預言を書いたのだろう」と言います。

彼らは超自然的なことを全く信じず、そのようなことを言うのです。

けれども、この9章の箇所はその考えを覆すのではないかと思います。なぜなら、この箇所はイエス様の生涯と働き、さらにはエルサレムの没落を預言しているからです。

旧約聖書全体が紀元前3年から1年の間にギリシャ語に翻訳されたことを考えると、エルサレムの没落の後にダニエル書を編集することは不可能でした。

神様はダニエルにこう言われました。

あなたの民とあなたの聖なる都(つまり、エルサレム)については、七十週が定められている。(ダニエル書9:24)

その「70週」というのは70の7年期間を指します。その間に、

  • 神様はそむきをやめさせます。
  • 神様は罪を終わらせます。
  • 神様は咎を贖います。
  • 神様は永遠の義をもたらします。
  • 神様は幻と預言を確証します。
  • 神様は至聖所(つまり、主の宮)に油を注ぎます。

その最初の7年間がいつ始まるのかについて、聖書学者たちは議論を続けています。おそらく、その始まりはエズラ記7章に記されている出来事だと思われます。

その時、ペルシャの王アルタシャスタが祭司エズラに主の宮を立て直し、飾るよう命じました。その箇所の焦点は宮を立て直すことにありますが、エズラ記9:9によれば、イスラエル人はエルサレムの城壁を立て直す許可も与えられたようです。

その後、ネヘミヤがエルサレムの城壁がまだ崩れていることを聞き、非常に落胆した場面があります。

いずれにしても、この預言によれば、最初の7年期間で苦しみの時代にエルサレムは立て直されると書かれています。(25節)

エズラとネヘミヤの時代、それは確かにその通りでした。彼らは主の宮とエルサレムの城壁を立て直そうとしましたが、数々の反対に直面しました。

それだけでなく、エステルの時代には、誰かが全てのユダヤ人を殺そうと計画したことがありました。(エステル記をぜひお読みください。)

その時から、62の7年期間(つまり、434年間)を数えると、それは紀元27年頃になります。その時、「油そそがれた者」が現れました。

私たちはいつもイエス・キリストと言いますが、「キリスト」は名前ではありません。「キリスト」という言葉は、「油そそがれた者」という意味です。

したがって、この箇所はイエス様について語っています。そして、紀元27年頃にイエス様はご自身のミニストリーを始められました。

その62の7年期間の後、「油そそがれた者」(つまり、イエス・キリスト)は断たれました。直訳すると、キリストは殺されました。また、「彼には何も残らない」と書かれています。

おそらく、その意味は、弟子たちがキリストを捨てたということでしょう。

その時、イエス様は十字架で私たちの罪をあがなわれました。その後、紀元70年にエルサレムと主の宮は滅びました。(26節)

最後の7年期間は将来の出来事です。その時、反キリストが現れるでしょう。彼は多くの者(つまり、ユダヤ人)と契約を結びますが、半週(3年半)の間にその契約を破り、ユダヤ人のいけにえとささげ物をやめさせます。

けれども、最終的に反キリストは倒され、その時、神様は罪を終わらせ、永遠の義をもたらされます。そして、新しい宮に油を注がれます(おそらく、エゼキエル書40-44章に記されている宮でしょう)。この預言はすべて成就されます。

この箇所には数多くの預言が含まれています。しかし、大切なのは、神様が未来を完全に支配しておられるということです。

もし、神様が帝国の興亡、イエス様の来臨、エルサレムの没落を正確に預言されたのであれば、私たちは反キリストや将来の神の国についての預言も信じることができるでしょう。

だから、将来が困難になったとしても、心配しすぎないでください。神様はすべてを支配しており、神様が約束されたすべてのことは必ず成就されるからです。

カテゴリー
ダニエル書3

自分の罪によってあなたの人生が壊れた時

ペルシアがバビロンを打ち破った後、ダニエルはエレミヤの預言を思い出しました。それは、イスラエルの追放が70年間続くというものでした。その70年が過ぎたとき、ダニエルは神様の前に跪き、祈りを捧げました。

実際、他のイスラエル人と比べると、ダニエルは正しい人でした。彼は一貫して神様に忠実であり、それほど悔い改める必要がありませんでした。

それでもなお、イスラエル人のために祈るとき、ダニエルは「私は正しい人だからイスラエル人のために祈ります」とは言いませんでした。むしろ、自分の罪を認め、神様の恵みの必要性を訴えました。

ダニエルはこの祈りを通して、私たちの人生が罪によって壊れたとき、どのように祈るべきかを教えてくれます。

第一に、ダニエルは言い訳をせず、正直に自分の罪を告白することです。彼はこのように祈りました。

私たちは罪を犯し、不義をなし、悪を行ない、あなたにそむき、あなたの命令と定めとを離れました。

私たちはまた、あなたのしもべである預言者たちが御名によって、私たちの王たち、首長たち、先祖たち、および一般の人すべてに語ったことばに、聞き従いませんでした。(ダニエル書9:5-6)

第二に、ダニエルはユダヤ人が抱えるトラブルの原因を神様のせいにせず、彼ら自身の責任を認めることです。

イスラエル人はみな、あなたの律法を犯して離れ去り、御声に聞き従いませんでした。そこで、神のしもべモーセの律法に書かれているのろいと誓いが、私たちの上にふりかかりました。私たちが神に罪を犯したからです。

神は、大きなわざわいを私たちにもたらすと、かつて私たちと、私たちをさばいたさばきつかさたちに対して告げられたみことばを、成就されたのです。(ダニエル書9:11-12)

第三に、ダニエルはイスラエル人ではなく、神様こそが正義の方であることを認めることです。

私たちの神、主のみわざは、すべて正しいのです。私たちが、御声に聞き従わなかったからです。(ダニエル書9:14)

最後に、ダニエルはユダヤ人の良い行いに基づくのではなく、神様の恵みに基づいて赦しを願うことです。

私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行ないによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。

主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。(ダニエル書9:18-19)

私たちの人生が罪によって壊れるとき、私たちはしばしば自分自身を責めるのではなく、周りの人々を責めます。

時には神様さえも責めることがあります。「あなたは不公平です。どうして私の人生はこんなにもめちゃくちゃになったのですか?」と文句を言うこともあります。

たとえ自分が悪かったと認めたとしても、私たちはよく自分の行動を弁解しようとします。

しかし、そのような態度を持ち続けるなら、私たちの人生は壊れたままで、神様の赦しを知ることは決してありません。むしろ、苦々しい心だけを抱くことになるでしょう。

もし赦しと癒しを知りたいなら、ダニエルのように祈るべきです。言い訳をせず、正直に神様に「私は悪かった。私は罪を犯しました」と告白することが必要です。

また、「神様、あなたは不公平です。だから私の人生はめちゃくちゃになったのです」と言うのではなく、自分の責任を認めることが大切です。

さらに、神様の判断が正しいと認めるべきです。

そして、神様の憐れみによってのみ、神様の赦しを願うべきです。私たちは神様の赦しに値する存在ではありません。神様の憐れみを得るために何かをすることはできません。ただへりくだって神様に頼ることしかできません。

そうすれば、神様がイスラエルの人々を触れて癒されたように、私たちの人生にも触れて癒してくださいます。

あなたはどうでしょうか。あなたの罪によって、あなたの人生は壊れているのですか。神様を責めていますか。他の人々を責めていますか。

今こそ、自分の責任を認め、罪を告白する時です。そうすれば、神様の赦しと癒しを知ることができるでしょう。

カテゴリー
ダニエル書3

儚い力

4頭の獣の幻の2年後、ダニエルは2頭の獣の幻を見ました。この二つの幻にはいくつかの共通点があります。

この夢の中で、ダニエルは一頭の雄羊を見ました。その雄羊には二本の角がありましたが、一方の角はもう一方よりも長かったのです。ガブリエルによると、その雄羊はメディア・ペルシア帝国を象徴していました。

(以前述べたように、ペルシア(長い角)はメディア(短い角)よりも強かったのです。)

メディア・ペルシャ帝国は非常に強力で、自分たちの思いのままにふるまいました。誰もその帝国を阻止することはできませんでした。

ところが、そこに一頭の雄やぎが現れました。その雄やぎには非常に目立つ一本の角がありました。そして、その雄やぎは雄羊を打ち破り、その角をへし折ったのです。雄やぎは高ぶりましたが、

その強くなったときに、あの大きな角が折れた。そしてその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た。(ダニエル書8:8)

その雄やぎはアレキサンダー大王を象徴していました。そして、預言通りに、彼が最も強くなった時に死に、四人の将軍たちが支配を始めました。この出来事は最初の幻ですでに示されていました。

けれども、この幻では、より具体的なことが示されます。そして、その事情は将来の出来事を表しています。

その雄やぎの一本の角は小さかったものの、やがて大きくなりました。ダニエルは次のように語っています。

それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、軍勢の長にまでのし上がった。

それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。

その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。(10-12)

その角はアンティオコス4世エピファネスという人物です。彼は、ギリシャ帝国の4分の1(つまり、セレウコスの領土)を取って支配しました。

彼の治世において、彼は2万人の軍隊を送り、エルサレムを攻撃しました。その際、主の宮にゼウスの偶像を立て、神様の祭壇の上で豚を犠牲として捧げました。

(神様の律法によれば、豚は不潔な動物とされているため、その祭壇は汚されました。)

この行動は、「荒らす者のするそむきの罪」と呼ばれるものです。(ダニエル書8:13)

「星」とは、アンティオコスに迫害され、命を奪われたユダヤ人のことです。

そして、ダニエルが預言した通り、アンティオコスは常供のささげ物を取り上げ、真理を地に投げ捨てました。神様の宮はゼウスの宮になったのです。

アンティオコスのプライドゆえに、彼は「私は神だ」と宣言しました。お金には「現れた神」という言葉が刻まれました。

けれども結局、彼は廃されました。ユダス・マカベウスというユダヤ人が反抗を導きました。ユダヤ人たちは最終的に神様の宮を清め、再びその宮を神様に奉献しました。そして、アンティオコスは急病により命を落としました。

ダニエルはこれらの出来事を全て預言していました。

とはいえ、この箇所には、私たちは反キリストの姿を見ることもできます。反キリストはアンティオコスが行ったことを模倣するでしょう。しかし最終的に、神様は反キリストも廃されます。

私たちはここから何を学ぶことができるでしょうか。力は儚いものです。

ペルシャの王たちは自分が強いと思っていましたが、彼らは廃されました。

アレキサンダー大王もそう考えていましたが、彼も廃されました。

アンティオコスも廃されました。

反キリストはサタンの力によって一時的に支配するでしょうが、最終的に彼も廃されます。

おそらく、あなたはこの世を支配しようとは考えていないでしょう。けれども、あなたの人生についてどのように考えているでしょうか。あなたは自分の人生の中心ですか。

周りの人々があなたに仕えるべきだと思っていますか。あなたの目標を果たすために他の人々を踏みにじりますか。また、あなたの心の王座から神様を追い出しますか。

もしそうするなら、あなたはその支配者たちが学んだ教訓を自ら学ぶことになるでしょう。あなたの力は儚いものです。

私たちは喜んで神様に従った方が良いのです。そうしなければ、最終的にあなたの力は取り去られるでしょう。神様に従うと、命を見つけます。しかし、力を握り続けたいのであれば、最終的には死に至ります。

イエス様はこう言われました。

いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。(マタイ16:25)

カテゴリー
ダニエル書3

すべてを治めておられる神

ダニエル書は年代順に書かれていないため、まず5章と6章をスキップします。この箇所が書かれた時、ベルシャツァルがバビロンの王でした。

(実際には、ベルシャツァルは父ナボニドスと共にバビロンを治めていましたが、その当時ナボニドスはテイマという場所に住んでおり、ベルシャツァルがバビロンの管理を任されていました。)

その時、ダニエルは幻を見ました。その幻はネブカデネザルの夢に似ていました。(ダニエル書2章参照)

ダニエルは四頭の大きな獣を見ました。それらの四頭の獣は四つの王国を象徴していました。

鷲の翼を持つ獅子はバビロンを表していました。ダニエルは次のように書いています。

見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。(ダニエル書7:4)

その話はネブカデネザルについてです。私たちはすでにダニエル書4章でその物語を読みました。ネブカデネザルは理性を失いましたが、その後、神様が彼に正気を返してくださいました。

熊はメディア・ペルシャ帝国を表していました。ダニエルは次のように書いています。

その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった。(5節)

横ざまに寝ているということは、ペルシャがメディアよりも強いことを象徴していました。そして、その三本の肋骨はメディア・ペルシャ帝国に征服された国々を示しています。つまり、バビロン、ギリシア、そしてエジプトです。

次の獣はヒョウでした。ダニエルは次のように書いています。

その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。(7節)

そのヒョウはギリシャを表していました。アレキサンダー大王は迅速に世界を征服しました。けれども、彼の死後、四人の将軍たちが(幻では四つの頭)支配を始めました。

最後の獣はローマ帝国を表していました。ダニエルは次のように書いています。

その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。

これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。

私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。

よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。(7-8節)

その十本の角は、おそらく古代ローマ帝国(つまり、現代のヨーロッパ)から現れる将来の支配者たちを象徴しています。

けれども、もう一人の支配者が他の支配者たちよりも高い地位を取ることになります。その支配者は神様に逆らう言葉を吐き、神様の民を迫害します。(20-25節)

その人物は、おそらく反キリストと考えられます。(第一ヨハネ2:18)

しかし、神様はその反キリストを裁かれるのです。その時、

人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。

その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。(ダニエル書7:13-14)

つまり、イエス様がこの世に戻られる時、神様の国が来て、イエス様が永遠に支配されます。

聖書学者たちの間では、その出来事のタイミングについて多くの議論があります。私にも自分の考えがありますが、最終的には神様だけがそのタイミングを知っているため、私はそのすべてを神様の御手に委ねます。

ですから、イエス様がいつ帰って来られるかについてはあまり考えません。重要なのは、イエス様が帰って来られる時に、私がちゃんと準備ができていることです。反キリストが来る前に天国へ行きたいですが、もしまだこの世にいるなら、パウロの言葉を思い出します。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。

むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(第一コリント13:10)

でも、一番大切なのは、結局神様が全てを治めておられるということです。世の状況がどんなに厳しくなっても、神様がすべてをコントロールしておられるので、私たちには希望があります。神様は王を廃し、王を立てられます。(ダニエル2:21)

神様はネブカデネザル、クロス王、アレキサンダー大王、そしてシーザーを立て、その時が来ると彼らを廃されました。

そして、反キリストが来る時、すべてが困難になりますが、結局神様は彼をも廃されます。そして、神様は永遠にこの世を治められます。

だから、この世の状況を見て不安に思う時は、イエス様の言葉を思い出しましょう。

あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネ14:1)

また、

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。

しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネ16:33)