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テサロニケ人への手紙第一のデボーション

平和の神

平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。

あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。

あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。(テサロニケ人への手紙第一5:23~24)

今日、「平和の神」という言葉を思い巡らしていました。

第4章3節で、パウロはこう語りました。

神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。

そして、今日の箇所では、パウロは神様が私たちの人生にその聖さをもたらしてくださるように祈っています。

ときには、そのプロセスに神の懲らしめが含まれることもあります。そして、その懲らしめが苦しいときもあります。

それでも、神様が私たちをにらんでおられると考える必要はありません。神様は平和の神です。私たちは神様との平和をもっているのです。

だから、神様が私の人生の中で取り組んでおられる課題を考えるとき、私は自分をその真理に染み込ませています。

「神様は私に怒っておられません。私は神様との平和をもっているのです。」

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神のみこころ

神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。(テサロニケ人への手紙第一4:3)

今朝、その言葉が私の目に留まりました。なぜなら、「これが神のみこころ」とはっきりと語る聖書箇所は、それほど多くないからです。

私をはじめ、多くのクリスチャンたちは「神様のみこころを知りたい」と言います。

その言葉の背景には、誰と結婚するべきか、どのような進路をたどるべきかといった問いがあることが多いです。

でも今朝、神様は私に思い起こさせてくださいました。「これは私のこころです。あなたがたが聖なる者となることです。」

パウロはこの文脈で主に性的な聖さについて語っています。彼の時代も、私たちの時代と同じように、それが大きな課題だったからです。

しかし、聖なる者となることは、性的な聖さだけに限られるものではありません。私たちの愛、言葉、思い—それらすべてにおいて、イエス様のようになることです。

だから今日、神様が私の心の中で取り組んでおられる課題について考えています。

その取り組みと格闘しながら、私は自分自身に、私を愛してくださるアバの言葉を思い起こしています。

「これは私のこころです。あなたがたが聖なる者となることです。」

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信仰、望み、愛

私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。(テサロニケ人への手紙第一1:3)

信仰、望み、愛。

天のお父さん、私がするすべてのことが、それらから生まれるようにしてください。

義務からではなく、「我慢しなければ」という感情からでもなく。

むしろ、私の働きが信仰から出るようにしてください。それは、あなたが良い方であることを信じる信仰です。あなたが私を愛してくださることを信じる信仰です。私の最善をご存知であり、それを願っておられると信じる信仰です。

私の苦労が愛から生まれるようにしてください。あなたへの愛。周りの人々への愛。

私の忍耐が望みに支えられるようにしてください。永遠を考慮に入れると、この世の問題、私の問題ははかないものです。イエス様、あなたを知っているゆえに、その望みをもっています。

あなたのゆえに、私の罪は赦されました。私の問題を通して、神様が私を罰しておられるというわけではありません。

むしろ、私は大胆に神様の御前に進み出ることができます。あなたのように、私は天の父に選ばれ、愛されているのです。

私が毎日毎日、一瞬一瞬、その視点を保つことができるようにしてください。

イエス様、あなたを待ち望んでいます。私は待ち望んでいます。

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神様が真実ですから、そのようにしてくださいます。

平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。

あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。

あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。(テサロニケ人への手紙5:23ー24)

「あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。」

この言葉は、私の心に深く響きました。

それを読んだとき、私はローマ人への手紙8章29~30節にあるパウロの言葉を思い出しました。

神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。

神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。

私たちは、その言葉を本当に信じているでしょうか。

私たちが生まれる前から、神様はその働きを始めておられました。イエス様のようになるために、私たちの霊、魂、身体のすべてが責められるところのないものとなるよう、神様は私たちを選んでくださいました。

そして、神様が始められたことを完成させてくださいます。なぜなら、神様は真実なお方だからです。

鏡に映った自分を見るとき、気に入っているでしょうか。

それとも、自分の失敗や罪の汚れを見て、顔をしかめるでしょうか。

でも、私たちのアバは、私たちを見るとき、顔をしかめることはありません。

私たちのアバは、あなたを最初から知っておられ、選んでくださいました。あなたを召してくださいました。あなたを義と認めてくださいました。あなたの罪の記録を完全に消し去ってくださいました。

そして、あなたがそれを見えるか見えないかにかかわらず、神様はあなたを完全に聖なるものとしてくださる過程におられます。

なぜなら、神様のみこころは、あなたがたが聖なる者となり、イエス様のようになることだからです。(第一テサロニケ4:3)

そして、その過程が完成されるまで、神様はあなたに栄光を与え、あなたがイエス様のようになるまで、働き続けてくださいます。

だから、義の胸当てを着けましょう。自分自身の義ではなく、イエス様を信じる信仰による神様の義を着けましょう。また、あなたに対する神様の愛の確信が、あなたの心を守るようにしましょう。(エペソ6:14;第一テサロニケ5:8)

そして、あなたの救いの希望—いつかあなたがイエス様のようになるという希望—が確かなものであることを覚えていましょう。その希望を、毎日かぶりましょう。

神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。(第一テサロニケ5:9)

また、

あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。(テサロニケ人への手紙5:24)」

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希望を持って、待ち望む

そして、あなたがたの心を強めて、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、私たちの父である神の御前で、聖であり、責められるところのない者としてくださいますように。アーメン。

最後に兄弟たち。主イエスにあってお願いし、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを私たちから学び、現にそう歩んでいるのですから、ますますそうしてください。。。

神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。(テサロニケ人への手紙第一3:13~4:1、3)

今はクリスマスのシーズンなので、私たちはよくイエス様の初臨を振り返りますが、イエス様はもう一度この世に来られます。それが私たちの希望です。

最近、二人の友人が亡くなり、主と共に旅立ちました。しかし、パウロが言ったように、私たちは望みのない他の人々のように悲しむことはありません。

イエス様がもう一度この世に来られるとき、彼らはよみがえり、生き残っている私たちは彼らと一緒に空中で主と会います。そして、私たちはいつまでも主と共にいることになります。

その日に、私たちは聖く、責められるところのない者となります。簡単に言えば、イエス様に似た者となるのです。なぜなら、私たちはイエス様をありのままに見るからです。(第一ヨハネ3:2)

それが私たちの希望です。でも、その日が来るまで、パウロとヨハネは、私たちがますますイエス様のようになることを促しています。(第一テサロニケ4:1~3;第一ヨハネ3:3)

私は、第一テサロニケ4章3節の英訳が好きです。「あなた方は神に喜ばれるために現に歩もうとしているが、前進し続けなさい。」

「前進し続けなさい。」

それが神様の御心です。つまり、毎日毎日、一瞬一瞬、私たちがますますイエス様のようになるということです。

イエス様、私はクリスマスを楽しみにしていますが、あなたの再臨も心待ちにしています。あなたの御顔を仰ぎ見ること、友人たちと再会できることを心から待ち望んでいます。

でも、その日が来るまで、私が前進し続けるように助けてください。私が成長し続けるように助けてください。

あなたの恵みによって、毎日、私がますますあなたのようになるようにしてください。

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愛され、選ばれている

神に愛されている兄弟たち。私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています。(テサロニケ人への手紙第一1:4)

今朝、私はその言葉を反芻していました。

私は神様に愛されています。

私は神様に選ばれています。

その言葉を考える時、私はいつも驚かされます。

「神様は私を愛することを選ばれたの?どうしてだろうか。」

その答えは出てきません。でも、その真理は心強いものです。

私は神様のご恩を得ようと努める必要はありません。私はそのご恩をすでに得ているのです。

私が神様の愛に値することを証明する必要はありません。神様はすでに私を愛してくださっています。

だから、自分の弱さや失敗を見ても、神様が私を受け入れてくださることを知り、安心することができます。

下記の言葉が、あなたの心に染み渡りますように。

「私は神様に愛されています。」

「私は神様に選ばれています。」

Don’t try so hard
頑張らなくて良い
God gives you grace and you can’t earn it
神様はあなたに恵みを与えてくださいます。その恵みは、自分の努力で得ることはできません。
Don’t think that you’re not worth it
自分には価値がなくて、神様が恵みを与えてくださるはずがないと思わないでください。
Because you are
神様の目には、あなたには価値があります。

He gave you His love and He’s not leaving
神様はあなたに愛を与えてくださいました。そして、あなたを決して見捨てません。
Gave you His Son so you’d believe it
あなたがその真理を信じることができるように、神様は御子を与えてくださいました。
You’re lovely even with your scars
あなたには傷跡があっても、美しさがあります。
Don’t try so hard.
頑張らなくて良い。ーーエイミー・グラント

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私たちのための神のみ心

いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。

これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケ人への手紙第一5:16ー18)

多くのクリスチャンたちは、「私のための神の御心は何だろうか」とよく尋ねます。

この箇所でパウロは、神の御心のすべてを教えているわけではありませんが、神様が私たちにどのように生きることを望んでおられるのかを示しています。それは、「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことにおいて感謝する」ということです。

しかし、私たちの人生はいつも楽しいものではありません。私たちはしばしば試練に直面します。

では、どうすれば私たちはいつも喜び、すべてのことにおいて感謝することができるでしょうか。苦しいとき、何を喜び、何に感謝することができるでしょうか。

私たちは、神様が私たちをどのように見てくださっているかを思い起こし、それに感謝し、喜ぶことができます。つまり、神様が私たちをご覧になるとき、ご自分の似姿を見ておられるのです(創世記1:26ー27)。

また、私たちは神の祭司とされ、神様は私たちに「主の聖なるもの」という言葉を記してくださっています(出エジプト記36:28;申命記7:6;14:2;第一ペテロ2:5、9)。

そして、神のもの、神の祭司、神の民、神に愛されている子どもとして、私たちはいつでも神様の御前に出ることができます。神様が私たちを拒まれる恐れはまったくありません。

良いときでも、悪いときでも、勝利のときでも、苦しみのときでも、私たちは大胆に天の父に近づくことができます。

これこそが、私たちのための神の御心です。つまり、私たちが一瞬一瞬、神様と共に歩み、神様との関係を喜ぶことです。

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私たちから響き渡る主のことば

主のことばがあなたがたのところから出て。。。響き渡った。。。(テサロニケ人への手紙第一1:8)

天のお父さん、あなたは私を愛し、選んでくださいました。あなたが御霊で私を満たしてくださったので、私に対するあなたの愛に関して、強い確信を持っています。

だから、あなたのことばが私から出て、周りの人々に響き渡るように。

私の言動が、周りの人々に私の信仰を表すように。彼らが、あなたに対する私の愛、また彼らに対する私の愛を見ることができるように。そして、私がどんな苦しみに直面しても、彼らが私の中にあなたの希望が輝いていることを見ることができるように。

私の周りの多くの人々は、あなたを知りません。彼らはこの世に、平安や希望を持っていません。彼らは愛に飢えています。だから、彼らに触れるために私を用いてください。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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望みをかぶる

しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みというかぶとをかぶり、身を慎んでいましょう。(テサロニケ人への手紙第一5:8)

「望みというかぶとをかぶり」という言葉は、私の心を打ちました。

この世界には、多くの人々が希望をあまり持っていません。むしろ、たくさんの人々が絶望の中にいます。多くのクリスチャンたちも絶望しています。

私たちは、この世の問題を見るからです。また、自分の問題を見るからです。

でも、パウロが私たちに促すのは、「絶望の念から守るために、望みをかぶりなさい」ということです。

でも、どんな望みのかぶとをかぶるべきでしょうか。それは、私たちの救いの望みです。

神様がいつかこの世の悪を裁くという希望です。

でも、裁きの日に、私たちが神の御怒りを受けないという希望を持っています。

むしろ、イエス様が私たちの罪のために死なれたから、神様との私たちの関係が回復して、私たちが生きていても、死んでも、イエス様と共にいつまでも歩むという希望を持っています。(9ー10節)

さらに、私たちが不完全な者であり、自分の罪と弱さと戦っているにもかかわらず、神様が私たちを完全に聖なる者とし、私たちの霊、たましい、からだのすべてが、イエス様がこの世に帰るときに、責められるところのない者として保たれているという希望を持っています。(23節)

私たちは、いつも真実ではないかもしれません。

でも、私たちを召された神様は真実ですから、そのようにしてくださいます。(24節)

だから、望みをかぶりましょう。

そして、神様が良い方で、私たちを愛していることを信じる信仰が、私たちの心を守りますように。

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歩み続けましょう。成長し続けましょう。

最後に兄弟たち。主イエスにあってお願いし、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを私たちから学び、現にそう歩んでいるのですから、ますますそうしてください。。。

神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。。。

兄弟愛については、あなたがたに書き送る必要がありません。あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちで。。。それを実行しているからです。

兄弟たち、あなたがたに勧めます。ますます豊かにそれを行いなさい。」(テサロニケ人への手紙第一4:1,3,9ー10)

私は以前にも言いましたが、私たちはクリスチャンとして、この世に生きている限り、終点にたどり着くことがありません。言い換えると、天国に着くまで、私たちは完全な者になれないのです。

でも、パウロは私たちに促します。「歩み続けましょう。成長し続けましょう。」

どうしてでしょうか。

なぜなら、神様の御心は、私たちが聖なる者となることだからです。つまり、私たちがますますイエス様のようになることです。神様が望むのは、私たちの行為において、特に私たちの愛において、私たちがイエス様のようになることです。

あなたは神様と歩んでいるのですか。素晴らしいです。ますます歩みましょう。

あなたは毎日神様を喜ばせているのですか。それは良かったです。ますます神様を喜ばせましょう。

あなたは、毎日神様や周りの人々を愛しているのですか。それを聞いて、嬉しいです。ますます愛しましょう。

でも、それらは、神様の愛を得るためではありません。神様の恵みによって、私たちはもうその愛を受けているのですから。(第一テサロニケ1:4)

だから、神の愛されている子供よ。その確信をもって、歩み続けましょう。成長し続けましょう。

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私の動機は何だろうか

私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。

神に愛されている兄弟たち。私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています。(テサロニケ人への手紙1: 3ー4)

パウロの言葉を読んだとき、私はこう思いました。「私の動機は何だろうか。それは、私に対する神様の愛だろうか。つまり、神様が愛によって私を選び、養子にしてくださったことですか。」

どうして、私はクリスチャンの生活を送るのでしょうか。神様が良い方であると確信しているからでしょうか。

どうして、主に仕えているのでしょうか。神様に対する愛、また、周りの人々に対する愛のゆえに仕えているのでしょうか。

大変なとき、どうして私は我慢するのでしょうか。イエス様にある私の希望のゆえに、我慢できるのですか。

信仰。希望。愛。それらによって、クリスチャンの生活は重荷ではなく、喜びです。

主よ。私の信仰が毎日成長するように。私をあなたの愛に根差してください。そして、苦しむときに、あなたにある私の希望を思い出させてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。