今日の箇所で、ペテロがはっきりと言っているのは、この世界が永遠に続くものではない、ということです。彼は次のように言いました。
しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。。。
その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。(ペテロの手紙第二3:10,12)
私たちは普段、このことについて考えることはないでしょう。むしろ、私たちは価値のないものに集中してしまいます。一時的なもの、快楽、仕事、お金などに執着し、人生を無駄にしてしまうことがあります。
しかし、最終的には、それらすべては燃えてしまうのです。その日、この地は消え去り、私たちの心は明らかにされ、神様の裁きに直面します。
だからこそ、ペテロは次のように言います。
このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。(11-12)
簡単に言えば、私たちは自分の優先順位を調整しなければなりません。この世のすべては滅びてしまうのですから、それらを追い求めるべきではありません。むしろ、神様とその御国を追い求めるべきです。
私たちは神様を喜ばせるように生きる必要があります。そして、毎日、神様の御国を広げるために働き、周りの人々に触れ、キリストの愛を分かち合わなければなりません。
では、「神の日の到来を早める」とはどういう意味でしょうか。どうやってその日を早めることができるのでしょうか。それは少し想像しづらいかもしれません。
それでも、私たちにはそれを行うことができます。なぜなら、神様が呼ばれる最後の人がイエス様を自分の主と救い主として受け入れると、教会の使命が完成されるからです。その日、神様はもう待つ必要がなくなり、イエス様を送ることができるのです。
けれども、神様と人間との和解をもたらす前に、私たちは自分自身が神様と和解されているかどうかを確認しなければなりません。そのために、ペテロは次のように言います。
ですから、愛する者たち。これらのことを待ち望んでいるのなら、しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。(14)
しかし、私たちは自分のために生きるなら、神様との平和を持つことはできません。また、神様の教えを曲げるなら、神様との平和を持つことはできません。
ある人々は、パウロの言葉やほかの聖句を曲げていたようです。けれども、それが彼らを滅びに導きました。(16)
多くの人々は、自分が気に入った聖句だけを受け入れます。けれども、神様の教えが気に入らなければ、その教えを無視したり、捨てたりしてしまいます。また、あえてその教えを完全に変えてしまう人もいます。
もし私たちがそのようなことをすれば、神様との平和を持つことはできません。私たちは、神様をありのままで受け入れなければなりません。神様を変えることはできないのです。
だから、ペテロは、神様のみ言葉を変える人々について、私たちに警告を与えています。
そして、ペテロはこの手紙の冒頭のように、その手紙を締め括ります。
私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。(18)
だから、イエス様とそのみ言葉を曲げるような教えを捨てましょう。むしろ、イエス様に近づき、イエス様から学ぶことを選びましょう。そうすれば、日々の中で、イエス様はますます大きく見えるようになるでしょう。
そして、憐れみと平和が、あなたの人生に満ち溢れることでしょう。
イエス・キリストに栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。(18b)
