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詩篇59ー

何を信頼するか

これはもう一つの私が好きな詩篇です。いつものように、ダビデは困っていましたが、こう歌いました。

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。(詩篇62:1-2)

「ただ神を待ち望む」という言葉は私の心を打ちます。

ダビデはいろんな試練を経験したので、人々がいつも忠実なわけではないと分かるようになりました。また、お金や富にも頼ることができないと分かるようになりました。

ダビデはこう書きました。

まことに、身分の低い人々は、むなしく、高い人々は、偽りだ。はかりにかけると、彼らは上に上がる。彼らを合わせても、息より軽い。

圧制にたよるな。略奪にむなしい望みをかけるな。富がふえても、それに心を留めるな。(9ー10)

つまり、人が偉くても、そうではなくても、私たちは彼らをいつも信頼することができないということです。

時々彼らはあなたを裏切るからです。

彼らが忠実でも、いつまでも生きるわけではありません。ある日、彼らは亡くなってしまうので、あなたは彼らにもう頼ることができません。

自分の富に頼る人もいます。しかし、そのお金を盗んでも、そのお金のためにちゃんと働いても、一時的な幸せだけを買うことができます。結局、あなたはお金と持ち物の虚しさを分かるようになります。

だからダビデは、「これらのものに頼りません」と言います。むしろ、彼はこう言いました。

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。(5)

そして、ダビデは私たちに言います。

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。(8)

あなたは何に頼るでしょうか。人に頼るでしょうか。富に頼るでしょうか。自分自身に頼るでしょうか。

それらのものは偽りの避け所です。結局、それらのものによって私たちはがっかりします。神様だけが私たちの信頼に値します。だから、ダビデはこの詩篇をこの言葉でまとめます。

神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。

主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。(11ー12)

私たちを決してがっかりさせない神に信頼しましょう。

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詩篇59ー

私たちと共におられる神

詩篇61篇で、ダビデはもう一度敵から逃げています。この詩篇を書いた時、ダビデはすでにイスラエルの王でした。

多分、この詩篇の背景にはアブサロムのクーデターがあるでしょう。アブサロムはダビデの王座を奪い、ダビデを追放しました。

だからダビデは叫びました。

神よ。私の叫びを聞き、私の祈りを心に留めてください。

私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。(詩篇61:1-2)

「私は地の果てから、あなたに呼ばわります」という言葉は私の心を打ちます。ダビデは自分の家から遠く離れていて、ダビデが愛した神様の幕屋からも遠かったのです。

けれども、ダビデがどこにいても、神様が彼の声を聞いてくださることを知っていました。だから、ダビデは自分の苦しみの中で神様に叫びました。

どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。

まことに、あなたは私の避け所、敵に対して強いやぐらです。

私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいのです。(2b-4)

言い換えれば、「あなたにあって、私は安心します。あなたを慕い求めるけど、あなたは遠く離れるようです。私をあなたのところに導いてください」ということです。

私たちはどれほどダビデのように感じるでしょうか。私たちは、神様に捨てられたと思うことがあります。神様にあって休みたいけど、神様は遠く離れているように感じます。

時々、私たちはダビデのように誓いをします。「私を助けてくだされば、私はこうします。」

その誓いをすれば、守らなくてはなりません。しかし、そんな誓いは要りません。神様からの私たちの遺産は恵みによって受けるのです。その遺産は、神様を愛し恐れる人のものです。

それは、困難の中の平和と希望の遺産です。

それは、神様が私たちを自分の子供と呼ぶ遺産です。

それは、神様が私たちの叫びに応える遺産です。

それは、いつか私たちがキリストとともに治める遺産です。(第二テモテ2:12)

だから困るとき、また神様が遠く離れると思うとき、その遺産を思い出しましょう。

私たちが想像するよりも、神様は近いです。

神様は聖霊によって、私たちを及びがたいほど高い岩の上に導いてくださいます。その高いところから、私たちのトラブルは小さく見えます。

その時、ダビデのように私たちは神様の御名をとこしえまでもほめ歌います。(8)

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詩篇59ー

私たちが敗れる時

詩篇60篇はちょっと不思議です。なぜなら、そのタイトルを見ると、この詩篇は勝利の時に書かれたもののように思えます。けれども、この詩篇によれば、イスラエル人は戦いに敗れたらしいです。

だから、彼らは叫びます。

神よ。あなたは私たちを拒み、私たちを破り、怒って、私たちから顔をそむけられました。

あなたは地をゆるがせ、それを引き裂かれました。その裂け目を、いやしてください。地がぐらついているのです。(詩篇60:1-2)

どうしてイスラエル人は敗れたのでしょうか。私たちにはわかりません。聖書ではその理由が書かれていないからです。列王記にも歴代誌にも、その敗北に関しては何も書かれていません。

言えることは、霊的な力と戦うとき、時々私たちは敗れるということです。しかしその時、二つのことを思い出しましょう。

一つ目は、神様が私たちを見捨てておられないということです。時々、私たちはそう感じるかもしれませんが、神様は私たちを拒絶しておられません。

二つ目は、時々私たちは戦いに負けることがありますが、結局私たちは戦闘に勝つということです。

神様はイスラエル人の叫びを聞いて、こう答えられました。

「わたしは、喜び勇んで、シェケムを分割し、スコテの谷を配分しよう。

ギルアデはわたしのもの。マナセもわたしのもの。エフライムもまた、わたしの頭のかぶと。ユダはわたしの杖。

モアブはわたしの足を洗うたらい。エドムの上に、わたしのはきものを投げつけよう。ペリシテよ。わたしのゆえに大声で叫べ。」(6-8)

つまり、「勝利は私の手にあります。私はあなたを私のものとして選んだので、あなたの敵をあなたの手に渡します。」ということです。

だから、イスラエル人は拒絶されたと感じたのに、彼らはもう一度神様に叫びました。

どうか、敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいものです。

神によって、私たちは力ある働きをします。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。(11-12)

そして、信仰によって、彼らは自分の力ではなく、神様の力によって出て戦いました。その時、神様は彼らに勝利を与えてくださいました。

最近、あなたは何かに敗れたでしょうか。失望しないでください。立ち上がりましょう。自分の力ではなく、神様の力によって立ち上がりましょう。神様の助けを願いましょう。そうすれば、勝利を得ます。

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サムエル記第一 詩篇59ー

神様の慈しみを思い起こす

「どうして、こんなことが起こっているの?神様、私を愛していないの?あなたはどこ?」

悪いことが起こったら、私たちはよくそのように反応します。もし、誰かがそのようなことを言う権利があれば、その人はダビデでした。彼は何も悪いことをしていなかったのに、サウルは彼を殺そうとしていました。

その状態の中で、ダビデはこの詩篇を書きました。

サウルが槍でダビデを殺そうとしたあとで、ダビデは逃げましたが、サウルはダビデの家にダビデを見張らせ殺すために、使者を遣わしました。けれども、ダビデの妻ミカルはダビデに警告して、彼が逃げることを助けました。

逃げながら、ダビデは詩篇59篇を書きました。

わが神。私を敵から救い出してください。私に立ち向かう者が届かぬほど、私を高く上げてください。

不法を行う者どもから、私を救い出してください。血を流す者どもから、私を救ってください。

今や、彼らは私のいのちを取ろうと、待ち伏せています。力ある者どもが、私に襲いかかろうとしています。主よ。それは私のそむきの罪のためでもなく、私の罪のためでもありません。

私には、咎がないのに、彼らは走り回り、身を構えているのです。どうか目をさまして、私を助けてください。どうか、見てください。(詩篇59:1-4)

つまり、「助けてください!」

けれども、ダビデは、これも書きました。

私の力、あなたは私を、見守ります。神は私のとりでです。

私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。神は、私の敵の敗北を見せてくださる。(詩篇59:9-10)

また、

しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。

私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとりで、私の恵みの神であられます。(詩篇59:16-17)

私にとって、印象に残っている言葉は、「私の恵みの神」ということです。英語では、「My loving God」、つまり、「私を愛している神」。

ダビデは大変な状態の中で、神様の愛と恵みを全然疑っていませんでした。むしろ、皆がダビデに反対する時に、ダビデは神様の愛に隠れて、安心しました。

問題に焦点を当てずに、ダビデは神様に焦点を当てていました。自分の状況について文句を言わずに、神様を礼拝しました。

そして、ヨナタンとミカルとサムエルを通して、神様はダビデを救い出してくださいました。

あなたはどうですか。全てが悪い時に、あなたはどうするでしょうか。神様の愛を疑いますか。神様の慈しみを疑うでしょうか。

もしくは、ダビデのように、神様のために待ち望むでしょうか。神様の愛に隠れて、礼拝するでしょうか。

神様が恵みの神であることと、神様があなたの先に行って導くことと、神様があなたを救ってくださることを心に留めておきましょう。