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伝道者の書

不満からの空しさ

私が____を持っていたら、私は満足です。

あなたはどのようにこの文章を完成させますか。「妻」?「夫」?「もっと良い仕事」?「もっとお金」?

実際のところ、もし今あなたが不満を感じているなら、たとえ何を持っていても、決して満足することはないでしょう。ソロモンはこの真理を理解していました。彼は次のように話しました。

金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。

財産が増えると、寄食者もふえる。持ち主にとって何の益になろう。彼はそれを目で見るだけだ。(伝道者の書5:10-11)

多くの人々はお金をもっと欲しがりますが、どれぐらいあれば十分なのでしょうか。多くの人々は物を求めますが、どれぐらいあれば満足できるのでしょうか。実際、多くの人々にとっては、決して十分ではありません。

そのため、より良い地位やより高い給料を得るために、人々を踏み続けるのです。(5:8-9)

しかし、最終的には、それは虚しいのです。なぜなら、満足感を得られないからです。

どれほど多くの服を買っても、結局一度も着ないままの服がどれだけあるでしょうか。どれほど多くの物を買っても、使わないまま放置している物がどれほどあるでしょうか。

持ち物が増えるかもしれませんが、ソロモンが言ったように、それはただの「目の保養」にすぎません。見た目が良くても、使われないのなら価値はありません。

さらに、金儲けがあなたの人生の目的になってしまうと、どうやってそのお金を持ち続けるかという心配に取りつかれ、寝不足になります。(5:12)

ある人々は、お金が無くなることへの恐怖に囚われ、そのお金を握りしめるあまり、自分の人生を楽しむことができません。

他の人々は、馬鹿げたことにお金を使うため、すぐに財産を失ってしまいます。また、災害を通じてすべてを失うかもしれません。(5:13-14)

たとえ賢くお金を使ったとしても、あなたが亡くなれば、そのお金を持って行くことはできません。他の人がそのお金を引き継ぎますが、それをどう使うかはあなたにはわかりません。もしかすると、その人たちはすぐにすべてを浪費してしまうかもしれません。

だからこそ、ソロモンは次のように書きました。

これも痛ましいことだ。出て来たときと全く同じようにして去って行く。風のために労苦して何の益があるだろうか。

しかも、人は一生、やみの中で食事をする。多くの苦痛、病気、そして怒り。(5:16-17)

つまり、金儲けがあなたの目的になってしまうと、人生は虚しくなります。生きている間に満足を得られないだけでなく、死後には全てを失うからです。

では、どうすれば幸せを見つけることができるのでしょうか。

ソロモンは次のように書きました。

働く者は、少し食べても多く食べても、ここちよく眠る。。。

見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。

実に神はすべての人間に富と財産を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。

こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心の喜びで満たされるからだ。(5:12,18-20)

また、

目が見るところは、心があこがれることにまさる。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。(6:9)

つまり、物を追い求めるのをやめなさい。それらは、あなたに平和や喜びを与えることはありません。だからこそ、すでに与えられたものに満足する方が良いのです。

どうでしょうか。満足するために、あなたは常に物を追い求めていますか。それとも、神様がすでに与えてくださったものに満足していますか。

もし満足しているなら、私たちはぐっすり眠れるだけでなく、人生が楽しくなるでしょう。これを望まない人はいないのではないでしょうか。

では、どうすれば私たちは満足できるのでしょうか。パウロはその秘密を見つけました。

彼は次のように書きました。

私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。(ピリピ4:12)

その秘訣とは何でしょうか?

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ4:13)

満足する秘訣は、物を手に入れることではありません。むしろ、イエス様に信頼するなら満足できます。また、イエス様をあなたの喜びとするなら満足できるのです。そして、すべてにおいてイエス様を求めるなら、真の満足を得ることができます。

金持ちであっても、貧乏であっても、たくさんの物を持っていても、ほとんど持っていなくても、独身であっても、結婚していても、幸せになることができます。どのような状況でも、あなたは喜びと平和を得ることができるのです。

そのようになれば、何を持っていても、持っていなくても、満たされた人生を送ることができます。

あなたは今、満足していますか?

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民数紀

感謝の心か、不満の心か

食べ物の中ではチリが大好きです。なぜなら、それしかほとんど料理できないからです。

日本では、私はチリをあまり食べません。最近は、妻が実家に帰るときだけに食べています。私は自分で作るのですが、これは5人前のレシピなので、長い間食べ続けられます。😊

でも、毎日一年中チリを食べ続けるのは無理だと思います。

イスラエル人も、そのような状態に直面しました。彼らはずっと、毎日マナを食べていました。

最初は、本当に感謝していましたが、最終的には飽きてしまいました。

「朝にマナを食べる。昼にマナを食べる。夜もマナを食べる。もう飽きた!他の食べ物が食べたい!肉とか、スイカとか、キュウリとか!」

(なぜキュウリなのか謎ですが。まあまあ好きですが、『本当に食べたい』とは言えません。)

「ニンニクとか玉ねぎとか欲しい!」

(臭い息が好きだったのでしょうか?)

その少し前には、イスラエル人は砂漠での旅について文句を言い、神様に叱られたばかりでした。そのため、神様もモーセも本当に怒っていました。

神様がイスラエル人を奴隷生活から解放し、彼らの必要をすべて備えてくださったにもかかわらず、イスラエルの民はまだ文句を言っていたのです。

そこで、神様は肉を与えてくださいましたが、彼らがそれを食べている間に、神様は疫病をもって人々を討たれ、多くの者が亡くなったのです。

この話から、私たちは何を学べぶことができるでしょうか?

一つ目は、今持っているものに感謝することを覚えておくことです。

イスラエルの民を批判するのは簡単ですが、私たちも同じようなことをどれほどしているでしょうか。

もし第三世界諸国の人たちが私たちが持っているものを手に入れたら、心から喜ぶと思います。食べ物と服と家があれば、本当に満足だと言うでしょう。

それでも私たちは、それらをすべて持っているにもかかわらず、文句を言います。「これが欲しい。あれが欲しい。」と。

もし、私たちが満足を学ぶことができたら、どれほど人生が喜びに満ちるでしょうか。

二つ目は、不満な態度は本当に伝染するということです。

最初に、混じってきた者たちが文句を言い始めましたが、すぐに全員が文句を言い始めました。

同じように、もし私たちの周りの人が常に文句を言っていたら、その態度が私たちに影響を与えないように気をつけなければなりません。

三つ目は、神様が私たちの必要を備える力を持っておられるということです。だから、必要があるときは文句を言わず、神様に祈るべきです。

イエス様はこのように教えられました。

してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。

とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。(マタイ7:11)

モーセが神様の力を疑ったとき、神様はこう答えられました。

主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。(民数記11:23)

そして、神様は皆のために必要なものを備えてくださいました。

最後に、私たちが満たされると思うものは、結局私たちを満たすことができません。

イスラエルの民は肉さえあれば満足できると思いましたが、結局、多くの人が亡くなりました。

彼らはその場所をキブロテ・ハタアワと名付けました。その意味は「欲望の墓」です。

もし私たちの欲望が私たちを支配するなら、私たちも墓に入ることになります。

アルコールや食べ物、タバコ、麻薬などの欲望によって、どれほど多くの人が命を落としたでしょうか。

私たちの欲望によって、私たちの人間関係や経済がどれほど損なわれたでしょうか。

私たちは、私たちを満たすことのできないものを、もう求めないようにしましょう。

むしろ、私たちを本当に満たすことができる神様を求めましょう。そして、感謝をささげましょう。