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出エジプト記のデボーション

聖所

彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。

幕屋と幕屋のすべての備品は、わたしがあなたに示す型と全く同じように造らなければならない。(出エジプト記25:8~9)

天のお父さん、私のうちに住んでください。私があなたの聖所となるように。私の人生が私自身の設計図によってではなく、あなたの設計図によって築かれるように。

天のお父さん、あなたは聖なる方であり、あなたのみ言葉は聖なるものです。でも、私はしばしば罪に陥ってしまいます。だから、いつも宥めの蓋の上から私に語ってください。(出エジプト記25:21~22)

イエス様、あなたは私の宥めの蓋(別訳:宥めのささげ物)です。(ローマ3:25とその脚注)

毎日、あなたの血によって、私をすべての罪から清めてください。

天のお父さん、あなたはいつも私と共におられ、日ごとのパンを与えてくださいます。(出エジプト記25:23~30)

イエス様、あなたは私に永遠のいのちを与える天から下って来たパンです。(ヨハネ6:33~35)

イエス様、あなたは私の光です。(出エジプト記25:31~38;ヨハネ8:12)

私が毎日あなたの光の中で歩むことができるように。

あなたの御名によって祈ります。アーメン。

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ヨハネの福音書のデボーション

私がいのちを受けるため

イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。

なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」

すると、彼らはイエスに言った。「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」

イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」(ヨハネの福音書6:26-29)

イエス様、あなたのもとに来た人々は、ただパンを求めていました。まるでパンが一番大切なものであるかのように、彼らはふるまいました。まるでパンが永遠のいのちを与えるものであるかのように、彼らはふるまいました。

しかし、イエス様、私があなたのもとに来る理由は、あなたご自身を望むことです。なぜなら、あなたこそがいのちの源だからです。

十字架の上で、あなたはこの世のためにご自分のいのちをささげられました。この世の罪、私の罪のために、あなたの体は十字架にかけられ、あなたの血は流されました。

私の代わりにあなたが死んでくださったおかげで、私は今いのちを持っています。

けれども、それだけではありません。あなたは今もなお、継続的に私にいのちを与えてくださいます。初めてあなたのもとに来て、あなたを信じたとき、私はいのちを受けました。でも、毎日あなたのもとに来て信じることによって、私はいのちを継続的に受けています。

だから私は、一度だけではなく、何度も何度もあなたのもとに行って、あなたから霊的な栄養を受けなければなりません。

あなたは永遠のいのちのことばを持っておられます。

私が毎日の困難に直面するとき、そのことばは私にいのちを与えてくださいます。励ましてくださいます。導いてくださいます。知恵を与えてくださいます。私が間違った道を歩き始めるとき、そのことばは正しい道へと引き戻してくださいます。

しかし、あなたのことばだけでなく、私が失敗するときには、あなたの恵みも与えてくださいます。今もなお、私はあなたの十字架の御業に頼っています。

そして、その十字架の御業によって、私はあなたの力にアクセスすることができます。天の父があなたを復活させたその力は、今、私のうちにも働いています。

誘惑を克服する力。サタンの攻撃に打ち勝つ力。難しい人に対応する力。この世が私に投げつけるものを乗り越える力。

あなたのからだが十字架にかけられ、あなたの血が流されたとき、あなたは赦しと力といのちを買い取ってくださいました。

けれども、あなたが私に与えてくださった最も素晴らしい賜物は、あなたご自身です。毎日、あなたは私と共に歩んでくださいます。

だから、イエス様、私はあなたのもとに来て、こう願います。「あなたご自身を私に与えてください。私が必要としているのは、あなただけですから。」