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ガラテヤ人への手紙のデボーション

他の福音?

しかし、私たちであれ天の御使いであれ、もし私たちがあなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら、そのような者はのろわれるべきです。

私たちが以前にも言ったように、今もう一度、私は言います。もしだれかが、あなたがたが受けた福音に反する福音をあなたがたに宣べ伝えているなら、そのような者はのろわれるべきです。

今、私は人々に取り入ろうとしているのでしょうか。神に取りとしているのでしょうか。あるいは、人々を喜ばせようと努めているのでしょうか。

もし今なお人々を喜ばせようとしているのなら、私はキリストのしもべではありません。(ガラテヤ人への手紙1:8-10)

ガラテヤの教会は深刻な問題に直面しました。あるユダヤ人たちは彼らに、「モーセの律法を守り、割礼を受けなければ、あなたは救われない」と教えました。

しかし、その教えはパウロが彼らに述べ伝えていた福音とは正反対のものでした。つまり、私たちは神の恵みによってのみ救われるのです。

だから、パウロは彼らにこう言いました。「もし誰かが別の『福音』を述べ伝えるなら、その人は神様に呪われるべきです。私たちの福音はイエス様ご自身から来たものです。

私たちがその福音を変えれば、周りの人々を喜ばせるかもしれませんが、キリストを喜ばせることにはなりません。」

現代では、救われるために割礼を受けなければならないと教える人はほとんどいないでしょう。しかし、他の点では人々は福音を変える誘惑にさらされています。

たとえば、多くの人々は「イエス様を信じても信じなくても、すべての『良い人』は天国に行く」と信じたがります。

また、罪を悔い改める必要性について語ることを避ける人もいます。さらに、神様が「罪」と呼ぶことを「善」と呼び、神様が「善」と呼ぶことを「悪」と呼ぶ人もいます(イザヤ書5:20;ローマ1:24–32)。

私たちがそのような「福音」を述べ伝えるなら、周りの人々は喜ぶかもしれません。しかし、イエス様は喜ばれません。

正直に言えば、キリストの福音を忠実に述べ伝えるのが難しい時もあります。そうすれば、私たちが愛している人々は喜ばないかもしれません。

それでも、神様への愛、そして彼らへの愛をもって、イエス様が私たちに委ねられた福音を忠実に分かち合いましょう。なぜなら、その福音によって、イエス様は私たちを救ってくださったのですから。

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ガラテヤ人への手紙

神様から離れる?

多くの人々は、キリスト教を厳しい規則の多い宗教と見なしています。そのため、彼らは神様に受け入れられるためには、その規則を守らなければならないと考えています。

実際、多くのクリスチャンもそのように考えがちです。しかし、聖書は本当にそのようなことを教えているのでしょうか。

この手紙の中で、パウロは困難に直面している教会に向けて書きました。その教会は、ガラテヤという都市にありました。(現代のトルコに位置しています。)

パウロは最初の宣教旅行の際に、その地域で多くの教会を設立しました。当初、それらの教会は栄えていました。

けれども、間もなくパウロは悪い知らせを聞きました。それは、ガラテヤの教会で、一部のユダヤ人クリスチャンが異邦人のクリスチャンに対し、「本当のクリスチャンになりたいなら、モーセの律法に従わなければならない。ただイエス様を信じるだけでは十分ではない」と教えていたことです。

特に、そのユダヤ人たちは、異邦人が割礼を受けなければならないと主張しました。

彼らの影響によって、ガラテヤの教会の人々は混乱し、偽りの福音を信じ始めました。そこで、パウロはこの手紙を書いたのです。

この手紙の冒頭から、パウロは、自分が彼らに伝えた福音を思い出させました。

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。

キリストは、今の悪の時代から私たちを救い出すために、私たちの罪のためにご自分を与えてくださいました。私たちの父である神のみこころにしたがったのです。

この神に、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。(ガラテヤ人への手紙1:3-5)

その言葉によって、パウロはガラテヤの人々に、どのように恵みと神様との平和を受けたのかを思い出させました。では、彼らはそれをどのように受けたのでしょうか。律法によってでしょうか。割礼によってでしょうか。違います。

むしろ、神様は救いの道を計画され、イエス様は十字架の上で私たちの罪の罰を受けられました。救いのすべては神様の働きによるものであり、私たちは自分の救いを誇ることはできません。むしろ、私たちの救いの栄光はすべて神様のものです。

これこそが、パウロがガラテヤの人々に伝えた福音でした。

しかし今、パウロは彼らにこう言いました。

私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるわけではありません。

あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。(6-7)

パウロの言葉は私の心を打ちました。

律法による福音を受け入れたことで、ガラテヤの人々は神様から離れてしまいました。彼らは神様を喜ばせていると思い、その規則を守ることによって神様に近づけると考えていました。けれども、実際には彼らは神様に背を向けてしまったのです。

彼らは、神様にこう言ったも同然です。「イエス様の十字架によって支払われたあなたの恵みによる救いの計画を拒みます。私たちは、この教師の教えに従い、あなたの救いの計画に別の条件を追加します。」

言い換えれば、ガラテヤの人々はもはや自分の救いを神様とその恵みに基づいていませんでした。むしろ、彼らは偽教師を信じ、律法に従う自分の努力に頼り始めたのです。

だからこそ、パウロは彼らに厳しく警告しました。

しかし、私たちであれ天の御使いであれ、もし私たちがあなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら、そのような者はのろわれるべきです。

私たちが以前にも言ったように、今もう一度、私は言います。もしだれかが、あなたがたが受けた福音に反する福音をあなたがたに宣べ伝えているなら、そのような者はのろわれるべきです。(8-9)

つまり、「あなたが受け入れた福音は、実際には福音ではありません。たとえ天使であろうと、私たちであろうと、もし私たちが最初に伝えた福音とは異なるものを教えるなら、その者は神の裁きを受けるのです。」ということです。

なぜでしょうか。なぜなら、彼らは神様から離れているからです。そして、規則による福音に従う者も、神様から離れているのです。

あなたはどんな福音に従っているでしょうか。あなたが従っている福音では、イエス様を信じることだけでは十分ではないのでしょうか。その福音では、救われるために、あなたは多くの規則に従わなければならないのでしょうか。

あるいは、あなたは十字架を仰ぎ、あなたの救いのためにただイエス様を信じるでしょうか。

私たちが偽りの福音に従い、神様から離れることのないようにしましょう。むしろ、神様を信じ、イエス様の十字架の働きを信じ続けましょう。