自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。(マタイの福音書10:38)
それらは、確かに厳しいことばでしょう。
イエス様の言葉を読んだとき、私たちはどう感じるでしょうか。
不安?恐れ?
私は長年クリスチャンですが、最初に思ったのは、「厳しい言葉だね。イエス様は私に多くを要求されているのだ」ということでした。
そして、イエス様の言葉を自分の人生にどう当てはめるべきかを考えると、その言葉はさらに厳しく感じられました。
だから今朝、私が自問自答しなくてはならなかったのは、「この感情をどうすればいいのだろうか」ということです。
私はどうすればいいのでしょうか。
真理を覚えておきましょう。
真理とは何でしょうか。
私のアバは良い方で、私を深く愛してくださっているのです。
二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。
あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。(マタイの福音書10:29ー31)
真理とは何でしょうか。
それは、私が自分の十字架を負ってイエス様に従うなら、私のいのちを失うのではなく、むしろ私のいのちを得るということです。
自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。(マタイの福音書10:39)
イエス様に従うことは、いつも簡単なこととは限りません。時には、イエス様に従うことが、非常に困難に感じられることもあります。
それでも、私のアバは良い方で、私を深く愛してくださり、いつもご自分の約束に忠実な方です。だから、私には希望があります。そして、その希望は確かなものです。
これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。
世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。(ヨハネ16:33)
